山でみつけたもの(その二)

東京を離れますと、少し渦中の中心から離れた心持ちになります。大きな目で見渡せば、ほとんど何も変わってはいないように見えますが。ただ、近すぎる気がする所から、拡大鏡で物を見てしまいますと、居ても立ってもいられなくなり、立ち直れない気分になっ…

山でみつけたもの

このたびの山の日々は雨模様。山では雨が降っても、湿度が70%越えても、ジメジメしないので、過ごしやすいです。雨がやむと散歩に出かけます。今回は、散歩の合間に山で出会った初お目見えの花や虫がありました。 まずはミヤマクワガタ(深山鍬形)です。 あ…

鳥の生に思う

雨模様の山の一日、それでもほんの少し雨が止むと鳥たちが囀ります。まるで魂の喜びを溢れさせているかのようです。東京でも庭で小鳥たちが喧しく鳴きます。四十雀、目白、雀、尾長、椋鳥、鵯、雉鳩、土鳩、鴉など。鳴き声は様々です。最近、鳥たちは鳴き声…

風に吹かれて・風が吹くとき

今朝、松尾葦江さんのブログで「風に吹かれて」を読み、この歌が流行っていた頃のことを思い返しました。大学生だった頃、この歌はよく歌われ、私たちも大学や寮で何度も歌いました。ベトナム戦争真っ只中だったと思います。大学紛争も治まりかけていました…

山菜

東京も梅雨に入って久しく、からっと晴れた日が続きません。去年は今頃山に出かけていたなぁ、などと思いながらなんとなく家にいることが多いです。そんなある日、松本に住んでいるかつての教え子から山菜が届きました。香りもフレッシュなコゴミ、ウコギ、…

言葉

ブログの日付をみましたら、この前のブログは3月半ばです。この日々、物思わぬ訳ではなかったのですが、思いは溢れるのに、言葉になりませんでした。日々報道される人災、天災の傷跡も生々しいのに、次々に襲う厄災には言葉もありません。言葉の欠片が胸の内…

福寿草

漸く暖かい日が廻ってきましたので、庭に出て隅々まで眺めてみました。家の中からでも梅や木瓜や椿の蕾が開き始めていたのは気がついていたのですが、あちこちの片隅にたくさんの春の芽吹きが見えました。 以前は擬宝珠の繁みのあったところに、小鳥のための…

礫を向ける先は・・・

ロシアがウクライナに侵攻して、一週間ほど経ち、日を追うごとに状況が緊迫し、悪化し、落ちついていられない日々が続きます。爆撃音と同時に燃え広がる紅蓮の炎と煙、泣叫ぶ子供や老人の顔、胸がドキドキして居ても立ってもいられません。ニュースの画像と…

葉牡丹の孫

立春を過ぎて、雪まで降り、寒さは一段と厳しいものがありますが、夜明けが少しずつ早くなり、日暮れもゆっくりやってくるようになりました。木の芽も花芽もずいぶん大きくなりました。猫柳に似た木の芽は触れるとすべすべと柔らかく、暖かい春の陽射しを浴…

節分

このところの寒さで、寒がりの私はすっかり外に出なくなり、炬燵に丸まる猫の如き日々を暮らしました。郷里の寒さに比べれば東京は暖かいとは思いますが、この地に馴れてしまいますと、身体もだらしなくなります。暖かい部屋の中でぬくぬくしながら、多少は…

東京の雪

今日は8日です。昨日は7日で七草粥、一昨日は6日で出初め式でした。日の過ぎるのは早いです。小学校の頃、6日には小学校の校庭に消防車が数台やってきました。半被姿の男たちが支える高い梯子の天辺で、同じく半被姿の火消しが梯子乗りの芸を見せてくれまし…

真紅の薔薇

あけましておめでとうございます。 真紅の見事な薔薇です。玄関に飾りました。玄関は二ヶ所窓が開いており、常に外気が入ってきますので、寒いこともあり、まだ元気です。少し開いて、花の一つ一つが大きくなってきました。背景の処理をしなかったことを反省…

お山

二年ぶりに里帰りをし、一人で家を守っている妹に会いました。二年ぶりですが、変わりなくホッとしたことでした。四方山話をした後、久しぶりに外に出て町内を歩いて見ました。青い空が光って、紅葉黄葉を過ぎた里山や雑木林に陽がさし、冷え冷えとした空気…

今日の暦

朝起きると、家中の窓を開け、家人の祖父母、両親の写真の前でご挨拶をして、日めくりの暦を一枚捲ります。かつては、格言が記されている、よく見る日捲りを使用していました。今年は月の満欠の絵がついているものにしてみました。月の満ち欠けのイラストの他に…

師走には・・・

毎年、日の経つ速さに茫然としていますが、今年は殊の外時間の経つのは早かったようです。コロナの感染拡大に驚かされた年の明けからたいして時は流れていないように感じておりますのに、もう12月、師走です。 町ではクリスマスとお正月の準備が同時進行です…

バス停終点、南善福寺

このところ、あまり歩かずグズグズしておりましたところ、かつての教え子が「キョウイク、大事ですよ!」と散歩を誘ってくれました。「キョウイク」とは、「教育」ではなく、「今日行く(所)」という意味で、このところのステイホームがすっかり身についてし…

山の紅葉のある日

秋晴れの美しい日、山小屋仕舞いに出かけました。テレビニュースが日光の紅葉を伝えてくれました。実家は日光街道沿いにありましたので、紅葉の時期になると、目の前の通りは、ずっと、ずっと、車の列が延々と連なっていたものでした。というわけで、未だに日光…

永の別れ

娘の家を裏庭に建てようという計画が着工する運びになり、まずは、裏庭の整理から始まりました。何十年も役に立ってくれた木造の物置、猫の額ほどの家庭菜園、塀際の生垣や植木、土留めなどが取り払われることになりました。というわけで、とりあえず、物置か…

栗名月、四人の宴

長月十三夜(10月18日)夕刻、約一年半ぶりの月見の宴です。今を去ること4年前、一年違いで退職する気の合う4人が、ゆったりとお祝いの宴をということになり、3月にお食事会をしたことが4人の会の始まりでした。一昨年も横浜で宴をもちました。昨年はCOVID-1…

10月10日

この日はかつて体育の日でした。祝日が月曜日に偏って、復活祭の移動祝日のように日付で祝日を覚えることができなくなって以来、祝う心が薄くなってきたように思います。私にとって、意識の中では、今も、成人式は1月15日、体育の日は10月10日です。 朝起き…

経年劣化

コロナの日々に身も心も馴染み中途半端に過ごしているうちに、暦は10月になってしまいました。この一年半を振り返ると、コロナの日々であったとはいえ、それ以上に生来の怠け心に甘んじ、あまり生産的に過ごしてこなかったと反省されます。だいぶ心身共に鈍…

家庭ゴミ

家庭ゴミを出す場合、一週間にわたって、どの曜日に何をどう出すかというのは、地域ごとに決められていると思います。家を改築している間、武蔵野市に仮住まいをしていたことがありました。その時、指定のゴミ袋の料金が杉並区よりだいぶ高かったのに驚きまし…

山の一年・村の一年

川上村の山の家に行く途中、村の畑を見ながら、この辺りの一年前の景色を思い出しました。畑はそろそろレタスが終わり、青々と、瑞々しく目に映るのはキャベツか白菜です。所々に蕎麦畑があります。収穫できると年越し蕎麦になるのでしょう。畑仕事も10月でお…

8月の終わり

コロナの中、家で過ごす日が続き、時は無意識のうちに流れていきます。庭木や草花の移り変わりに、ああもう春、入道雲に、ああもう夏、風やの具合、空の青の深さ、雲の色に秋の訪れを感じます。8月に入って一匹の虫が鳴き始めました。8月の終わり、今は夜も昼も…

お山はもう・・・

5月下旬に川上村に来たときには、山躑躅がきれいでしたが、7月に来たときには山躑躅はすっかり姿を消し、額空木が咲き始めていました。 今回見た額空木です。花びら(?)に囲まれた所に小さな花がいっぱいあります。前回はみな蕾でしたが今回は開いています…

8月15日、追記

「8月15日」のブログを読んでくださった友人から、「原爆以外のことには触れていませんね」と感想をいただきました。ご尤もです。あまり長くなってしまったので、唐突に止めたのがいけませんでした。その続きは、日を改めて、と考えております。ごめんなさい。

8月15日

明日は8月15日、終戦記念日です。日本の第二次世界大戦は1945年のこの日に終わりを迎えました。 1945年8月15日、玉音放送で前日に決まったポツダム宣言の受諾と日本の無条件降伏が公表され、9月2日、降伏文書に日本政府が調印し、1952年4月、平和条約(サ…

8月9日

今日は8月9日、長崎に原爆が投下された日です。 私がキリスト教に出会ったのは長崎からいらしたカナダ人司祭を通してでした。戦前から来日し、私が知ったときには日光・今市地区を担当されていたフランシスコ修道会の修道士でした。洗礼を受ける人はほとんど…

8月6日

今日広島に原爆が投下されました。思いは心の中をぐるぐる巡りますが、それを表現する言葉が見つかりません。ただ、ただ、この日のことを思い、平和でありますようにと、二度とあのようなことが起こりませんようにと、心から祈ります。

壮絶な闘い?―その後

前回のブログで蟻の襲撃について書きましたら、友人知人が、親切にも、どうすればいいかという退治策を教えてくださいました。私は大喜びで、早速、小さい石鹸様の駆除剤を買ってきました。こういう薬があるということは、蟻に悩まされている人はいっぱいいる…