8月9日

今日は8月9日、長崎に原爆が投下された日です。

私がキリスト教に出会ったのは長崎からいらしたカナダ人司祭を通してでした。戦前から来日し、私が知ったときには日光・今市地区を担当されていたフランシスコ修道会の修道士でした。洗礼を受ける人はほとんどいなかったと思いますが、人なつこいこの方を信頼し、敬愛する町の人は多かったと思います。日本での戦時中の体験を口にすることはありませんでした。ただ一度、何かのはずみに、特高警察に尋問されたときに受けた(と後で聞いた)膝の怪我の痕を見たことがあります。戦争の本質を感じた最初の体験です。

小学生だった私の印象に今も心に留まるのは、小さなバケツを持ったアリストテレス(それとも大学者)が海岸で何かしている絵を示し、「アリストテレスは偉い哲学者だけれども、そんな人でも海の水を砂の穴に全部入れることはできない。人間の知恵でこの世のすべてを知ることはできない。」と説明してくださったことでした。人知を越えるということについて思いが及んだはじめです。

まだ見ぬ長崎を思うときにはこの司祭を思いだし、8月9日には長崎に投下された原爆を思い、どうか、二度と戦争がありませんように、平和でありますようにと祈ります。それなのに、世界の各地で絶えることなく続く戦いに、戦火の中で逃げ惑う人々の姿に我身が重なり、胸が締めつけられる思いがします。どうか、どうか、原爆が、戦争が、繰り返されることがありませんように。