山の一年・村の一年

川上村の山の家に行く途中、村の畑を見ながら、この辺りの一年前の景色を思い出しました。畑はそろそろレタスが終わり、青々と、瑞々しく目に映るのはキャベツか白菜です。所々に蕎麦畑があります。収穫できると年越し蕎麦になるのでしょう。畑仕事も10月でお終い、来年までお休みです。村の大工さんが、5月の連休明けにならないと仕事は始まれない、地面の下は2メートルも凍っているから、と言っていました。

そう言えば、東京では2月の終わりから3月にかけて出回るタラの芽などの山菜は、この辺では5月も終わりの頃です。その頃になると、村の大きな池の周辺で山菜祭りが開催されます。去年、今年は中止でしたが。タラの芽、山独活、コゴミなどの山菜はあちこちにありますが、早いうちに山菜採りの人が採っていくようです。馴れている人ならば全部は取り尽くさず、来年のために少しは残しておきます。そうして山の実りを守ってきたのでしょう。

かつて冬にも来たことがあるのですが、断熱材も入っておらず、二重窓にもなっていない家は、零下20度になりますと、屋内でも、それは、それは寒く、ストーブは薪の世話も大変で、灯油もあっという間になくなります。家から出て、いきなり外気を直接吸いこみますと、気管が痛くなります。寒冷地はその寒さ故に、やたらに人を近づけず、自然を守ってきたのかと思ったことでした。ただ、寒冷地の醍醐味は冬にあるのかもしれないと思うときがあります。真っ青な空に向かって、すっかり葉を落とした広葉樹の枝が伸び伸びと、高々とその手を突き上げている様子は素晴らしい。雪に包まれた山々の姿も、一日として同じ姿ではなく、一日のうちでも刻一刻と表情を変えていきます。いつまで見ていても飽きません。

雪が終わり、5月になると畑の仕事は本格的に始まります。畑は真っ白いビニールシートで覆われ、畑の周囲に鹿避けの網目のフェンスを巡らせ、レタスの苗が植えられます。遠目には、白いビニールシートは畑に降り積もった雪のようで、雪の中にレタスの苗が緑に点在しているように見えます。それからの数ヶ月は寸暇を惜しんでの農作業です。レタスの収穫は深夜から朝まだき夜明けにかけて行われます。農道には農車が行き交います。農車には水遣りをする装置がついており、苗を運んだり、収穫したレタスを入れた箱を収納するスペースがあります。自動車の運転免許とは異なる、農車専用の許可証が必要のようです。かつては真夜中に作業する人のために大音量の音楽が流れていましたが、今は聞こえません。朝の5時頃、村に古くから伝わるらしき音楽が聞こえてきます。9月になるとレタスはそろそろお終いで、畑はキャベツ、白菜、蕎麦になります。これも10月下旬になるとそろそろお終りです。畑は長い眠りにつき、おそらく村の人も長いお休みになるのでしょう。

これからしばらくは茸の季節です。畑が一段落して、長い冬に入る前に、村の人は茸を採りに行くのでしょうか。この辺にはおいしい茸が出てきます。春の山菜、秋の茸。採れたての山菜料理や茸鍋を囲んでおいしい、おいしいと食卓を囲む姿が目に浮かびます。今は、冷暖房があり、家事も電化、機械化され、必ずしも冬ごもりをしなくてもよいようになっているのでしょうが、村の人はどんな風に冬を過ごすのだろうかと、「秋深し、隣は・・・」のような心持ちで、時々思います。

山に来る度に、村の様子を遠くから眺め、畑の様子、道筋や土手の花や薄、雑木林の草木の移りかわりで季節の移り変わりを感じます。今回、去年の今頃の村の風景を思いだし、村も私も、一年が、季節の移りかわりに合わせて、こんな風に過ぎていくのかと感慨深く思いました。