山でみつけたもの(その二)

東京を離れますと、少し渦中の中心から離れた心持ちになります。大きな目で見渡せば、ほとんど何も変わってはいないように見えますが。ただ、近すぎる気がする所から、拡大鏡で物を見てしまいますと、居ても立ってもいられなくなり、立ち直れない気分になってしまうことがあります。山に来ても重いものは変わらずあるのですが、木々の緑や花々に慰められ、励まされ、なんとかやっていけそうな気になってきます。

まずは、この夏出出会った花たちです。

レンゲツツジ(蓮華躑躅

蓮華躑躅です。蕾や花が蓮華ののような形に並ぶのでこの名がついたということです。涼しい所では庭木にもなるけれど、気温の高い都会では育ちにくいそうです。

花は朱色、毒性があるので、蜜を吸ってはいけないそうです。それは他の躑躅もそうなのでしょう。子供の頃、登下校の道々、躑躅の花の蜜を吸っていましたけど、アブナイ、アブナイ。庭木にするには大きすぎるようですが、見ていたい、きれいな花です。

 

ヤマツツジ(山躑躅

華やかな赤い花が木一杯に咲きます。初めて見たとき、何だろう、この花、と思いました。豪華できれいな花です。

躑躅の仲間では一番背が高くなる(6m)種だそうです。4月から5月にかけて花が咲きますが、私がこの花に出会えるのはいつも5月です。オレンジがかった赤い花です。華やか、艶やか、美しい花です。庭木にするには大きくなりすぎますね。公園や大きなお邸などには時々見られるそうです。

 

二人静

二人静です。一人静も本当に心引かれる花ですが、二人静は一人静より、少し小ぶりです。どちらもひっそり、静かに可憐に咲いているところが素敵です。

名前の由来は、花の様子を謡曲二人静」で静御前とその幽霊の舞に擬えたとのこと。別名「早乙女花(さおとめばな)」。花穂は5センチくらい、米粒のような丸い小花と見えるのは、3個の雄しべが球形に合体したものだそう。子供の頃、二人静といえば、両口屋のおいしいお菓子しか知りませんでした。

戸惑うのは二人静の読み方です。植物は「ふたりしずか」、謡曲も「ふたりしずか」ですが、歌舞伎、浄瑠璃の外題では「ににんしずか」のようです。私の好きな両口屋の場合、解説書によって「ふたりしずか」と「ににんしずか」の両方があります。両口屋のホームページですと「ふたりしずか」らしいです。

 

深山苦苺(みやまにがいちご)

ミヤマニガイチゴ(深山苦苺)という名前からすると、おいしくなさそうだな、という気がするのですが、じっと見ているときれいな花です。苺の花は白いのですね。実はあんなに赤いのに。

標高の高い山地に咲くことから深山、苦みがあるから苦苺というわけです。高さは1mくらい。白い花がきれいです。実もなって食べられるそうですが、中の核のところがちょっと苦いそうです。果実酒を作る人もいるようです。果実酒を作ってみようかな、という気になりました。

 

うつぼぐさ(靫草、空穂草)

靫草の「うつぼ」は魚のウツボを連想させ、何故ウツボなの、と思いましたが、もう一つ、ウツボには別の意味がありました。なるほどです。きれいな紫色です。紫色の花はその色だけで、心惹かれます。

紫色の小さな花がきれいです。名前は、小花の形が靫(矢を入れて腰に背負う道具)に似て、花の中が空になっているからだそうです。花が小さすぎて、パッと見ただけでは中が空洞かどうかはわかりませんが。

薬用植物だそうで、日本漢方では「夏枯草」といわれ、花の枯れた穂は、利尿、消炎、うがい薬に用いられるとのこと。若葉はすのもの、あえもの、など食用にもなるそうです。若葉と花びらは天麩羅にもできるそうです。夏になると花が茶色になって、一見枯れたように見えるからだそうです。他に、アブラグサ、カゴグサ、カゴソウ、コムソクサ、ミコノスズ、ヘビノマクラ、クスリグサ、ジビョウグサ、チドメグサ、ヒグラシなど、たくさんの呼ばれ方をしているようです。ということは、土地の人々に親しまれている植物なのですね。シソ科だそうですが、紫蘇特有の匂いはありません。ハーブティにもなるそうです。

 

ノイバラ(野茨)

ノイバラ(野茨)、私が見たのは白い花でした。他の写真でも、色は白ですが、もっと華やかに咲く種もあるようです。派手ではありませんが、楚々として美しく、胸打たれます。

これはつる性の小さな木です。野薔薇とも言うようです。日本の野茨の代表的な種だそうです。赤い実は利尿や便秘の治療にもなるとか。古名は「うまら」「うばら」。学名の multiflora は、白い花を房状に沢山つけるところから、「花が多い」という意味だそうです。4月から6月にかけて花が見られます。やさしい良い香りがします。薔薇の品種改良に貢献した基本原種で、園芸用薔薇の接木の台に使われるとのこと。花は香水にも使われるそうです。果実は甘味があって、食用、薬用になるようです。

 

山おだまき、(山苧環

苧環は街中で見る苧環に姿は似ていますが、色はもっと穏やかで控えめな感じです。なんて素敵なのだろうと見とれてしまいました。花の精がどこかに隠れていそうな気がします。

苧環というのはカラムシ(苧:イラクサ科の繊維)や麻の糸を巻いた管のことです。形が似ているので苧環、山で咲くので山苧環です。

下向きに咲く花がなんとも上品で優雅で、いつまでも眺めていたくなります。園芸種の苧環よりも、控えめで奥ゆかしく、品のいい、なんともいえない品のいい気高い風情です。

 

さなぎいちご (猿投苺)

花は見えず、実だけがありました。なんてきれいな、宝石のような赤です。おいしいといいなぁ。

花は白か淡紅色だそうですが、見たのは実です。赤い色が艶々しています。愛知県豊田市瀬戸市にまたがる猿投(さなげ)山で採集されたので「さなげいちご」と呼ばれたのですが、それが転化して「さなぎいちご」となったそうです。花は図鑑で見るときれいですが、山で見たのは赤い実です。実はあとで黒くなるそうです。食用になるのかならないのか、その辺の説明が見つかりません。もう少し調べてみましょう。

 

空木

空木、卯の花、名前を聞くだけで、「卯の花の・・・」という歌声が聞こえてきそうです。夏の夕方に見たら、きれいだろうな、などと思いました。

別名、「うのはな」です。卯月(旧暦四月)に咲くので卯の花なのだそうです。小学唱歌の「卯の花」の歌は好きで、たくさんの卯の花が咲いている景色を見たいと思っていました。大人になって、川原泉の漫画で、剣道の強い少女と一緒に住むお婆さまが、老いて、夢と現の境界が朧になってしまいますが、彼岸に渡る直前、一瞬、現に戻る場面があります。彼女を現に戻したのは一面に咲く白い卯の花、空木でした。物語の前後は忘れているのですが、その場面は迫力があり、空木の花を見る度に、山里に暮らす少女とお婆さまを包む空木の光景を思い描きます。

 

この山で出会う花たちは、人の目に触れることもなく、時の流れの中できちんと生を全うしているのですね。食用になる物も、毒を抱える物も、みなそれぞれの生を生きています。人はその生を自身で藻掻きつつ、手探りしながら進まなければならず、時々、思い悩むわけです。もしかして、自身で人生を進んでいるというのも錯覚ではないだろうか、などと思うこともありますが。

同僚の哲学の教師は、二日酔いあけの朝一の授業で、学生に「皆外に行って、気に入った木の幹に貼りついて、木々の声を聞いてこい、」といったことがありました。私たちは呆れたのですが、春や秋の晴れた日に、大きな幹に頬を寄せて、この木の言葉を聞いてみたい、と思うこともあります。

このたびも、お山は植物が一杯、食用になる植物もかなり、かなり、多いようです。もう少しお勉強して、食用になる植物をもっと知りたいと思いました。