鳥の生に思う

雨模様の山の一日、それでもほんの少し雨が止むと鳥たちが囀ります。まるで魂の喜びを溢れさせているかのようです。東京でも庭で小鳥たちが喧しく鳴きます。四十雀、目白、雀、尾長、椋鳥、鵯、雉鳩、土鳩、鴉など。鳴き声は様々です。最近、鳥たちは鳴き声でコミュニケーションをとっているという番組を見ました。囀りと地鳴きが異なること位しか知りませんでしたが、鳥は鳥で様々な言葉を持っているようです。よくわかるのは鳥たちの争いです。鴉や鳩ばかりでなく四十雀も、他の鳥も、縄張りを争って大喧嘩をします。彼らの争う声は吃驚するほど凄まじく迫力があります。可愛い顔をして、小さい身体で、よくあんなに大きな鋭い叫び声が出るものだと思います。

私は生きものをペットとして可愛がる質ではありませんが、何度か否応なく付き合わされることがあります。巣から落ちた鳥、迷子になって弱ったフェレット。家人は生態学をやっているので、不運に見舞われた鳥や動物が我家にやってくるのです。最初は解体中の家で見つかったという鳥の雛でした。当時はそうした鳥の世話のしかたもわからず、その鳥はあっという間に死んでしまい、子供にワンワン泣かれて切ないことでした。以来、毎年春になると巣から落ちた雀などが何羽か運ばれてきました。家人も少しずつ馴れてきて、ティッシュペーパーを柔らかく丸めたベッドを作り、小さい瓶にお湯を入れて湯たんぽを作り、小さい匙で餌を食べさせることに成功しました。かなりの数の雀は、こうしてまた外に返っていくことができました。

青梅街道の欅の下で見つけた尾長の雛。おそらく巣から落ちたのでしょう。雨に打たれてぐったりしているところを娘が抱いてきました。これも元気になりました。「ナガちゃん」と呼ばれ、あんまり人間に馴れてしまうと外に返せなくなると心配するほどよく懐きました。元気になって飛べるようになったとき、鳥籠の戸を開けて外に出しても、初めのうちはすぐに戻ってきてしまいました。が、しばらくしてある日のこと、無事に飛び立っていきました。以来、尾長は心の中で近しい鳥になりました。

中には返っていけないものもありました。巣からつつき出されて産毛も生えそろっていない親指位の丸裸の鵯です。もう駄目かと思ったのですが、一週間ほどで倍の大きさになり、元気になりました。鳥好きの義母が可愛がり、結局外には返すことができませんでした。潔癖すぎるほどきれい好きな義母でしたが、鳥に家中を汚されても嫌な顔一つしませんでした。

フェレットは元々がどこかで飼われていたので、外に返すこともできず、家で飼うことになりました。馴れている者には良いのですが、敵はじゃれているつもりなのでしょうが、足先や手指を噛む癖があり、私は近寄れませんでした。当時は、祖父母の部屋が空いておりましたので、こうした鳥や動物の良いお宿になりました。

思い出に残るのは鴉の初代クウちゃん、二代目クウちゃん、雉鳩のポッポちゃん、二代目ポッポちゃんです。 

初代クウちゃんは体育館の泥水の中で藻掻いていた所を高校生に拾われました。今にも死にそうだったので、死ぬ前に一度位はお医者様に診てもらってやろうと動物病院に連れて行き、ビタミン剤の類いの薬をいただいて来ました。ぐったりしていましたが、薬を飲ませようとすると暴れました。鴉が利口だと思ったのは、この薬は身体に良いものだと知ってか、次の日から大人しく薬を飲むようになったのことでした。ナント、たいした回復力で、元気になりました。残念ながら足が麻痺していて飛び立てません。鴉は地面を足で掴んで瞬発力で飛び上がらないと飛び立てないのだそうです。おそらくは釣人の落とした錘、つまり鉛の類いを呑み込んだのだろうということでした。そのまま外に出せば野良猫に襲われるので、仕方がなく家に置きました。玄関先にケージを作ってドッグフードを餌にしました。海老の尻尾や卵焼きの切端をやると喜びました。餌が固くなると水に入れてふやかして柔らかくして食べました。時々外の鴉がやってきますが知らんぷりで、まるで哲学者のような諦念を湛えた目で空を見ていました。

二代目クウちゃんは家の誰かが落ちていたのを連れてきたのですが、身体が小さく弱っていました。が、これはすぐに元気になりました。これもよく懐き、返れなくなると困るなあと思っていました。ある日庭で遊ばせていたら、スウッと飛び立っていきました。近所の地主さんの木立の中の大な欅に巣を作りました。初めのうちは我家の人間がわかるのか、近くを通るとテレビのアンテナに留まってこちらを見ていました。毎年番いの鴉と子を育てていましが、この数年は姿が見えません。

初代ポッポちゃんは家人が健診に行き、医院の玄関を出たら上から降ってきたそうです。これは「運命だ」と思って連れ帰ったとのこと。首も曲がり、目も潰れ、身動きもできず、一人では到底生きていけない状態でした。家人がセッセと世話をして、家族で出かけるときは連れていき、よく面倒をみて、寿命を全うしました。二代目ポッポちゃんは近所の塀にじっと留まっていたのを家人が連れて帰りました。巣立ちに失敗したのでしょう。「これは初代ポッポちゃんが送ってきたのだ」と言って、頑張って世話をしましたが、すぐに死んでしまいました。先週の事でした。あまりにも短い死に胸が潰れました。

山に来て雨に振り込められてボンヤリとしていると、私自身は彼らの世話をした訳ではありませんのに、ひととき我家にやってきて、そして去って行った生きものたちのことを思い出します。彼らを思い出すたび、野鳥の診察を引き受けてくださる獣医さんには特別に感謝したいところです。「野鳥の診察代はいただきません」と仰って、いつも気持ち良く、親切に診てくださいました。動物には通常保険がききませんから、治療費は高額になったはずですが、一度もお受け取りにはなりませんでした。初代クウちゃんのときも、「飼いたいと思って拾ってきたわけではないでしょう」とか、「鳩は診たことあるけれど鴉ははじめてだなぁ」などと言いながら、為す術ない鴉にお薬を下さいました。二代目ポッポちゃんは腸が外に飛び出していて、長生きは無理そうでした。手術が可能かもしれないということでしたが、しばらく様子を見ましょうということになりました。しばらく様子を見る間もなく命を終えました。

人は命のことをいろいろ考えます。鳥たちは考えるのでしょうか、考えず、生きるがままに生き、そして生を終えるのでしょうか。街中の生きものですら、残酷な生もあり、切ない日々があることを折々に感じさせられます。山の中で生きる生きものも、街中で生きる生きものも、それぞれの思惑の入る余地はきっとないのでしょう。人は与えられた生の道筋が見えず、いろいろ思い煩い、悩み、ああでもない、こうでもないと右往左往いたします。そんな風に思い悩む鳥もいるのだろうかと思ったりもします。鳥の囀りを聞いていると、幸せ一杯に感じられますが。人は思い悩みつつ、一杯の失敗を繰り返しつつ、生を終えるのでしょうね。いずれにしろ、人の生も、鳥の生も、それほど大きな差があるようには思えないと感じた山の朝でした。