福寿草

漸く暖かい日が廻ってきましたので、庭に出て隅々まで眺めてみました。家の中からでも梅や木瓜や椿の蕾が開き始めていたのは気がついていたのですが、あちこちの片隅にたくさんの春の芽吹きが見えました。

以前は擬宝珠の繁みのあったところに、小鳥のための餌場があります。冬の間、蜜柑や林檎、バナナなどを柿の枝に挿して小鳥さんたちを喜ばせていたのですが、暖かくなったので、餌置場の傍に果物をさし、平皿の底にきれいな石を敷いて水浴びができるようにしました。

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蜜柑とバナナがさしてある木は、二年前に改築で斬らざるをえなかった金木犀の枝です。いつか何か細工でもしようかと取っておきましたが、格好の第二の人生を歩めることになりました。さしてあるのは蜜柑とバナナです。

毎朝、鶫、鵯、目白などがやってきておいしそうに果物をつついています。中に一羽、この場所が気に入って、毎朝、早くから近くの枝で待っている鵯がいます。空が明るくなると、餌場から居間の近くにやってきて催促します。朝のご馳走が来ると餌場を独占めにして、他の鳥が来ると追散らします。他の鳥は仕方がないので、周囲に落ちたものを啄んでいます。鳥の世界も厳しいです。代わりばんこ、というわけにはいかないようです。

さて、木瓜と小鳥の餌場の近くに福寿草を4つ、5つ見つけました。

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散らばった咲き方ですが、かつてはこの周辺は小さな福寿草王国でした。

これは、結婚した最初のお正月、里の母が訪ねてくれたとき、一株だけ、土産に持ってきてくれたのです。しっかり根を張って暮らすようにと言っていたことが時々思い出されます。父が「長男の嫁がつとまったら町中逆立ちして歩くよ」と言った私でしたので心配だったのでしょう。今も私は変わりませんが、幸か不幸か、「娘を結婚はさせたけれども、嫁にやった覚えはない」と、義妹が結婚した相手にしっかり言い切った義母のおかげでか、女は・・・とか、嫁は・・・とか言われたこともなく、私は無事、日々を過ごして今に至ります。

鉢植えの福寿草はしばらくしてから庭に下ろしました。それから年々、花の数を増やし、ひと頃はかなり広い場所が福寿草の花で一杯でした。その後、改築が二度ほどあって、いつの間にか福寿草は消えてしまったかと思われました。折々、鉢植えの一株の福寿草を思い出して、残念なことをしたと思っていました。

ところが、昨年一輪の福寿草を見つけ、あ、元気だったのだと、大変嬉しく、よかったぁ、と思いました。そして今年、去年よりもたくさんの花をつけました。がんばって生きのびてくれたのですね。ありがとう!また会えたね。生きのびるってこういうことなのかしら、とあらためて思ったことでした。