経年劣化

コロナの日々に身も心も馴染み中途半端に過ごしているうちに、暦は10月になってしまいました。この一年半を振り返ると、コロナの日々であったとはいえ、それ以上に生来の怠け心に甘んじ、あまり生産的に過ごしてこなかったと反省されます。だいぶ心身共に鈍ってしまったな、と思った瞬間、最近よく聞く経年劣化という言葉を思い出しました。

ネットで検索をして見ますと、「経年劣化」というのは、時間とともに品質が低下することで、天候の変化、日照などによって品質が低下する場合だけでなく、使い続けることからおこる摩滅、汚れ等も経年劣化というのだそうです。本来は、不動産関係で使われるようで、類義語としては、「脆弱化する」、「力が衰える」、「ガタが来る」とあり、金属疲労は経年劣化の一つであることがわかりました。これを身体の状況に当てはめれば、年を重ねて身体が弱る、衰えるというのは、なるほど、経年劣化なのですね。

経年劣化を比喩的にとらえれば、政治体制が長くなるとあちこちに綻びが出てくるなどというのもそれにあたりそうです。はじめて、身体に関する形容に「経年劣化」という言葉が使用されたとき、即物的な表現とは思いましたが、言い得て妙ですね。

我身に照らして言えば、私の経年劣化はこの一年半の間にだいぶ進んだようです。マスクをつけて、厳しい暑さと湿気に喘ぎつつ、あるいは、雨の中を散歩をするのは、当初はそうでもなかったのですが、最近は疎ましく思い、外に出るのが億劫になっておりました。近くの買物ついでに歩くよう心がけておりましても、つい出不精になります。というわけで、気がつけば、体重計によれば、身体年齢が実年齢より5歳も上回り、これはいけないと、焦りと危機感を覚えました。

慌てて、荻窪や吉祥寺などにはつとめて歩くよう心がけました。西荻窪は比較的閑散とした駅ですが、荻窪、吉祥寺は賑やかです。ルミネ、タウンセブン、パルコといったところには老若男女が多く集まり、みな活き活きしています。年齢の高い方も、ゆっくりですが元気に歩き、友人知人と話をしています。どちらかと言えば家に籠もるのは何でもない質ですが、籠もりすぎては、まさに、経年劣化を促進させてしまうなと反省し、遅ればせながら、心を外向きにして、歩き回ろうと思ったことでした。気候も良くなる頃ですし。