霜月初旬

 今年は天候不順の日々が続き、雨嵐、長梅雨、台風、さらに猛烈な長い夏、あの高温と湿度に、大げさにではなく、ホント、息も絶え絶えに生き延びた感があります。そのせいか体調を崩し、なかなか山にも行けませんでした。それで一年が終わりになるのも切ないので、山仕舞いをする前に一回は行ってみようと、重い腰を上げて出かけてみました。

 各地の紅葉のニュースはその美しさを知らせてくれます。安曇野では真赤に燃える満天星躑躅、花水木、水楢などの赤や黄色の紅葉黄葉が見られました。ただ、川上村は夏の暑さが祟って、例年のような紅葉にはならず、茶色や暗赤色でした。それでも、少しきれいな紅葉もありました。

薄はもうお仕舞ですが、土手に広がる薄には心惹かれます。昔、薄の野に上った清らかな月が思い出されます。あれは日光線大沢駅の風景でした。

 家人が近くを散歩して小さな紅葉を見つけました。

令法(りょうぶ)です。いつものような明度の高い黄色にはなりませんでしたが、澄んだ色に黄葉してきれいでした。

小葉団扇楓です。新緑の頃の緑の葉もきれいですが、紅葉した葉は美しいです。山では、見られることなく芽を出し、浅緑の葉になって、色を変え、散っていくのでしょうね。

錦木です。今年は、赤が少し浅いのですが、この色もまたいいですね。一年、一年、紅葉もみな違う姿で現れるのですね。あと何回紅葉に出会えるかわかりませんが。

 しばらくぶりの山は静かです。この頃は5時すぎないと明るくなりませんが、その頃になると小鳥たちの目覚めの鳴声が聞こえてきます。つられて起きて窓辺に座って白々と明るくなる空を眺めます。この静けさ、この静穏は、ここでこそのもの。日常茶飯事の雑事に紛れていますと心の静寂を保つのは時に難しい。ここは静かです。風が已んでいると、枯葉一枚動きません。東の空は薄っすらと曙色。だんだん明るくなり、西の空も青空を見せてくれます。今日は薄曇り、一日の始まりです。

山についた最初の日です。畑も仕事はほとんどお仕舞い。落葉の道をカサコソいいながら歩きます。もう冬が始まっている様子です。でも今年はここも暖かい秋でした。

 翌日は朝から晴天。たくさんの葉を落とした水楢の枝々に散りそびれた枯葉がとどまっています。風が出てきました。高い、高い枝から、後から、後から、一枚、また一枚、ヒラヒラと舞い落ちてきます。木々は2階の屋根を軽く超える高さです。20mを超えているかもしれません。真っ青な空に身丈を、腕を、指先を、精一杯伸ばして、背伸びして身じろぎもせずに立っています。

青い空の中の木々の姿はいつまで見ていても飽きません。絶え間なく落葉は舞い降りてくるのに、どこもかしこも、何もかもが静寂です。

 ヒラリ、ヒラリと絶え間なく舞い落ちる葉は、空から地に生きる者への短い手紙のようです。私は、お日さまの陽に背中を暖められ、蒼穹の窮みから、風に乗って降りてくる言の葉を受けとめます。この山で何年も、何千年も繰り返し伝えられてきた、問わず語りを、舞い落ちる枯葉から受け取り、彼らの囁く言葉に耳を傾けます。
 思いは遠い春の桜吹雪に移ります。小さな身体がすっぽり包みこまれてしまいそうになるほど、止めどなく流れてくる桜吹雪。母に手をつながれて、私は桜吹雪の中で身も心も桜色に染まりました。あの日の母は黒羽織でした。きっと小学校の入学式だったのでしょう。
 自然からの便りは、日々刻々、受けとめられます。それは山の中でも、都会でも、どこにいても同じです。ですが、こうして山に身をおいていると、特別の季節の便りを受け取っているように感じます。それが、今日は、春の桜吹雪と秋の落葉の舞でした。