日本中世英語英文学学会

 12月2日、3日の両日、4年ぶりに対面での全国大会が早稲田大学でありました。久々の再会を期待して出かけていきました。

 何よりも吃驚したのは50年ほど前の大学とは全くの様変わりをした早稲田大学の校舎の立派さ、美しさでした。あの当時、冬に小野講堂で学会があったのですが、その日が土曜あるいは日曜日だったので暖房が入らず、古い建物のなかで震え凍えたのでした。当時、読書会などで何度も出かけて行ったはずなのですが、あまりの様変わりで、西門の場所もわからず、迷子になりました。やっとのことで開催場所の3号棟に行きつきましたが、実に見事な、機能的でもあり見目にも素晴らしい建物に暫し見とれました。まさに隔世の感。もちろん暖房の具合もよろしく、設備も立派です。かつての、あちこちに立て看板があり、窓硝子のない古い校舎が懐かしくなるほどの変身ぶりでした。きっと、今の学生さんは当時のことはご存じないでしょうね。大学自体も、姿だけでなく、様々の変革があっての今の姿なのでしょうね。西門近くにあった帽子屋さんのショーウインドウにあった角帽や中折れ帽のことなど、今の学生さん達は知らないかもしれません。

 講演や研究発表なども気持ちよく聞くことができました。パワーポイントの画像を映すディスプレーも非常に性能の良いものだったのでしょう。色の美しさ、鮮明さに感動しました。

 発表も興味深かったです。私が聞いた中では、Old English(OE:12世紀ごろまでの英語)の年代記が、同系統の他の年代記だけでなく俗語も典拠にしていたという考察、やはりOld Englishの年代記の中で、名前と肩書の表現が視点と焦点でどうなるかという考察、そして、学生に英語史への関心を動機づけるためにどのような実践を何のためにしたかという報告に魂の目が覚めました。

 特に最後の発表者の守屋靖子先生は、英語史、英語学の研究では外国でも何度も賞を受け、評価されている方です。Old English に何の関心も持たない学部学生に文献学や古い英語に興味を持たせるための実践についての説明は、具体的で学生の現実的状況をよく理解された上での、辛抱強い取り組みでした。OEDOxford English Dictionary)の初版はA3の大きさで1冊の厚さは10㎝、本巻9巻に補講版4冊の膨大な辞書です。学部の頃は、キルティングのカバーをつけると枕になる、などと冗談を言ったものでした。

 OEやME(Middle English:15世紀ごろまでの英語)を読むためにOEDMEDMiddle English Dictionary)は必須ですが、使いこなすには少々の辛抱と訓練が必要です。無理強いすることなく学生がこれに手を出そうという気になるまでに、教師には多大な辛抱と努力があります。守屋先生のその実践を想像すると久々に魂が熱く燃える思いがしました。

 質問者の中に、「うちのレベルの学生ではそれは…」と言いかけた方がいらっしゃいました。守屋先生ははすかさず、柔らかく優しい物言いですが、明確に、教師がそれを言ってはいけない、と聞きました。心からそうだ、そうだ、と思いました。

 私たちの世代を指導した教授陣は大体、勉強は自分でするものだ、という姿勢でした。たまたま私の恩師は、「教えられることはみんな教えればいいのだ」とおっしゃいましたが、実際は手取り足取り、という具合にはいきませんでした。そのようなわけで、私たちの世代は、きちんと丁寧に説明しなければ指導できない学生に困惑しました。その中で、少しずつ学生に鍛えられ、歳を重ねるほどに指導の在り方を身に着けていったのでした。

 私自身は少々暢気で、奉職していた大学が都心から離れた山の上にあり、他学の学生たちと接触することがないのをいいことに、にっこり笑って「誰でもできますよ」などと言って、OEDの使い方をその都度、その都度教え、MEのテキストを原書で読んだものでした。その代わり、一人が担当する量は2行から4行までで、これをME流に読み、現代英語に直し、それから日本語で説明する、というやり方をしました。その後で、単語そのもの、単語の歴史、内容についてのあれこれ、ついでに井戸端エピソードを披露するという具合です。(学生は迷惑だったかもしれません。)

 発表者の話を聞きながらその当時のことを思い出し、恩師の「いい研究者はいい教師のはずだ」という言葉を思い出しました。守屋先生はまさに、いい研究者、いい教師で、ここでお会いできたことを幸いに思いました。

 目下、中世英語英文学の世界も、大学では文学部がなくなり、文学としての英文科がなくなる方向にあり、先行きが明るいとは言えませんが、守屋先生のような方があちこちで頑張ってくださって、見えないながら、小さな種をあちこちに播いていることだろうと嬉しくなりました。そういえば、会場には大学院生と思しき若い方たちがちらほらと見えました。この方たちが次世代を担ってくれるのだろうと思います。バトンはつながるに違いないと思い、希望をもって、私も後ろから応援をしようと思いました。

 久々に良い学会でした。