コロナ騒動始末我家版

 11月初め、山に行きました。この度は30年ぶりに行ってみたいという娘も一緒でした。山は紅葉の盛りが過ぎたばかりで、昨年のような見事な綾錦とは行きませんでしたが、広々とした空、山々、山林、田畑の佇まい、いつもなら寒いこの時期の陽の暖かさに山々も村も日向ぼっこです。

 後で散歩に出てみようか、夜になったらお星様を見に池まで行ってみようかなどとおしゃべりをしながら、楽しく夕食をしました。さて夕食後のことです。「ちょっと疲れたかな」と言っていた娘が発熱したのです。風邪でもひいたかと思いましたが、一瞬「もしかして・・・」が頭をよぎり、ずっと車中一緒にいたのですから、こちらも熱が出て帰れなくなるといけないと思い、翌日、早々に帰ってきました。その日は休日で医院はお休み。この段階では十中八九風邪だろうと思っていたのですが、万一を考え、娘の家族に感染させてはいけないので、娘は我家に留まり、私どもも濃厚接触者という生活をスタートさせました。

 翌日、かかりつけの医院に連絡をしました。医院からは患者さんの混み具合を見て何時に来るようにと連絡が来ます。普段とは別の入口から中に入り、診ていただいたとのこと。結果を聞きましたら陽性。瞬間、皆の心身にスイッチが入り、臨戦態勢になりました。第一波のとき、仕事先で息子が濃厚接触者となり、2週間ほど自宅療養した経験が活きました。一部屋を娘の療養場所とし、食事も別にし、食器は可哀想ですが、そしてゴミをたくさん出すので申し訳ないとは思いましたが、紙製の物を使いました。

 濃厚接触者用の検査キットを申し込み、あとは必要物資の買物ですが、これは困りました。息子の時は上下の二世帯住宅で私どもも奥さんも元気でしたので、買物もできますし、食料配布のお世話も必要がなく、階段の下に作っておいた食事を置いておくだけで済みました。今回は同じ平面で暮らし、私どもが濃厚接触者ですので、外に出られず、買物、その他の細々したことができません。普段の食料は数日分あることはあるのですが、水分の多い食品や飲料水、検査キットの補充など、細々した物を買わねばなりません。これは、唯一健康な大人である(ただし浮世離れているので信頼感はもう少しという)娘婿が精一杯がんばってくれました。その結果、飲料水、彼自身と孫の検査キット、私どもの補充用検査キットなどが揃いました。

 濃厚接触者の私どもはまったく症状がなく元気ですから、普段の食事でいいのですが、感染した娘は軽症とはいえ、熱があり喉や咳が止まらず、身体の痛みもありで、普通食はとても無理の様子。困って、恐縮しいしい、東京都に食料配布をお願いしました。2日ほどして東京都福祉保険局から段ボールが届きました。開けて吃驚、熱の出ている体調の悪い病人に丁度良いものがたくさん入っていたのです。アクエリアスリポビタンD、野菜ジュース、ティーパック、ジェリー、スープ、ドレッシング、素朴なビスケット、パイナップルの缶詰、レンジで温めれば良いご飯パック、のりたま、ツナフレーク、水煮のひよこ豆隠元豆、春雨の掻き玉やワンタン、混ぜ込み和布各種、呑兵衛のうどんやそば、お湯をかければ出来上がりの味噌汁各種、鯖缶、お粥、ゼリー状の栄養ドリンク、元気になったら便利であろうスパゲッティ等々。一世帯に一セットだそうです。第一波の時からは大分時が経っていたこともあるのでしょうが、配布された食品はよく考えられており、病人食を作るのに大変重宝しました。こんなことをしていただいて、本当にありがたく、感謝、感謝でいっぱいでした。

 娘の感染がはっきりして2日後、都から送られてきた抗原検査キットで検査をしました。娘とはこの間ずっと一緒にいたので感染している可能性もありましたが、症状もなくおそらくは大丈夫だろうと思いました。案の定、陰性の結果が出たときはやはりホッとしました。娘婿も孫娘も陰性でした。二度の検査が陰性なら5日間、それ以外では1週間自宅で過ごすということになっています。用心して1週間は外出が必要な仕事はお休みさせていただき、用心して過ごしました。かつては2週間だったと思いますが、待機の日数が短くなって助かりました。2回目の検査も陰性で無罪放免と相成り、やれやれと思いました。この度は娘も軽症で何とか症状が治まり、10日ぶりに自宅に帰りました。この間、慣れぬ手つきで、孫の世話をし、学校に送りだす役割をがんばった、娘婿はホッとするやら疲れるやらで、力が抜けた感がありました。

 あとは大量の洗濯と掃除で仕上げです。娘は軽症とはいえ、やはりインフルエンザとは違うようで、特に体力の消耗が激しかったようです。いつも元気な娘が、後遺症かどうか、今でも、少し身体を動かすと疲れ切ってしまいます。やはり、インフルエンザや風邪とは別物なのだと思います。娘によれば、普段はかなり用心して、外に出るときにはマスクをし、手洗い、うがいなどまめににし、換気にも気をつけ、混雑しているところは避けて過ごしていたので、どこで感染したかわからない、と言っています。どこにも出かけない、というわけにはいきませんが、気をつけていても感染することはある、ということでしょうか。感染していた娘とずっと一緒にいたのに、私どもが感染しなかったというのは、ワクチンが効いていたからということなのでしょうか。風邪やインフルエンザの症状の推移とはやはり異なるコロナ感染はわからないことが多く、軽症か重症かはともかく、馴染みのない病気でありました。未知なものはどこか無気味で怖く、コロナを甘く見てはいけないなと改めて思いました。

 今回、娘が山で熱を出したとき、まさかと思いながらも、感染したときに備えた行動が取れたのは良かったと思います。娘は家族(夫と娘と飼っている小鳥)に10日間ほど会えませんでしたが、娘以外の家族に感染させないで済みました。検査キットは買っておかねばと思ってはいたのですが、たいていは品切れで用意して置けませんでした。パルスオキシメーターは都からお借りしましたが、これも買っておけば良かったなと思います。消毒エタノールはいっぱいありましたのでまめに消毒し、家の中でもマスクをして過ごしました。こちらのできることは、第一波の時から変わっていませんが、まだまだ油断はできません。これからもこのような用心を続けながら、当分は種々のコロナと付き合いながら暮らしていくのかなぁ、と思った事でした。

 中世ヨーロッパの人々も、疫病の流行った京都も人たちも、こんな風に過ごしていたのだろうかと想像しました。久しぶりに山であれこれ楽しみにしていたことはできませんでしたが、来年はまた一緒に行って、村の様子、山々の様子、山林の様子を楽しみ、夜には天の川や流星群もみられると良いな、と思った事でした。