東京府時代のマンホール

最近、かつての教え子が、ありがたくも、ウォーキングに誘ってくれます。これまで、杉並区の最高地点と最低地点に行きました。 

杉並区の最高地点は善福寺と松庵の境目位のところでしょうか。標高54メートルだそうで、西荻窪駅から歩いてもそれほど遠くはありません。テクテク歩いて地点につきました。商店や住宅が並ぶさほど広くない道路です。さらに少し歩くと練馬区に入るのでしょうか。駅からはほぼ平坦な道を歩いていきますが、最高地点に立つと、右左がなだらかな下り坂になっていることがわかります。たいして道のりでありませんでしたので、戻りついでに杉並区最西端と井草八幡内の富士塚を訪問しました。往復約5kmだそうです。 

最低地点は和田1丁目で約26メートル位だそうです。ついでに杉並区最東端を訪問して片道7km。西荻窪駅からスタートして、青梅街道に平行している住宅街の道を歩きました。この辺は昔からの住宅街が並んだ、散歩には最適の道です。真っすぐの道はなく、折々に地点に向けて曲がります。道路は真っすぐだと思っていても、僅かずつ斜めに走っているらしく、この方向でよいと安心していると目的地から遥かに離れることがあります。 

案内してくれた名ガイドは上手に道を選んで地図を作成してきているので、安心して歩けます。道々、よく気が付く、しかも物をよく知っている説明に興味惹かれつつ、テクテク歩いているうちに目的地につきました。こちらも、ずっと平坦な道を歩いており、どこに最低地点があるのかしらと思っていましたが、残り100メートル位のところからぐっと下り坂になっているのです。最低地点に立つと、周囲の道が登りになっていることがよくわかります。どちらも、耳で聞くのと実際に歩いてその地点に立つというのでは大違い。実際に歩いて確かめてみて、達成感、充実感がありました。最低地点は最高地点より長く、片道で7キロ半ありましたから、帰りは中野富士見町駅から地下鉄で帰りました。 

今回は、「杉並区に残る東京府時代のマンホールを訪ねて」です。新メンバーも加わって三人旅です。名ガイドは私が専任になった大学で最初に教えた学生でした。今回の新メンバーは大学院で教えた最後の学生です。目的地は阿佐ヶ谷区役所近辺です。西荻窪駅からスタートにしました。

 

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三人でマンホールを取り囲んでいます。東京府の「東」のデザインが飾り気がなく素朴ながら、好ましい。しばし見とれました。二人分の靴の先が入っています。じっと見とれている証拠です。

方向は、杉並区最低地点と同方向ですが、今回は別ルートから行くことになりました。大通りを避けた行き方もたくさんあるものだと感心します。西荻窪から阿佐ヶ谷までは二駅ですから、おそらく直線距離では4キロくらいでしょうか。テクテクというよりテレテレと歩いても、割合楽に目的地につきました。途中、梅、沈丁花ハクモクレンなど春の花の垣根や立木が見事でした。阿佐ヶ谷区役所までやってきて、そして、とうとう見つけました。誰も気が付かない大きな通り沿いに。普段は歩いていても、濡れて滑ったりしなければ、マンホールなどの存在には気が付かないものです。いざ、探そうと思って見つめていると、マンホールはこんなにたくさんあったのかと思うくらい多いです。 

ここで、東京府のマンホールを三つ見つけました。どれも、同じ形です。三つとも金属製ではなく、石(コンクリート)です。東京府は1868年から1943年までですから、東京都になったのは第二次世界大戦の間だったのですね。調べてみると、日本が日中戦争に突入すると戦時体制のため、東京府の統制強化が必要となり、1943年1月に「東京都制案」が可決されて7月1日から東京府東京市が廃止され、「東京都」になったのだそうです。ということは、もしかしたら最初は金属製のマンホールだったのかもしれません。戦争で供出したのかしらとも思いました。杉並区に残る東京府時代のマンホールはこの三つだけだそうです。 

「行きはよいよい、帰りは・・・」ではありませんが、なかなか素敵なマンホールに会えた嬉しさか、帰りはかなり大回りをしました。阿佐ヶ谷と荻窪をぐるっと一巡りしたように思います。というわけで、荻窪で足休めついでのコーヒータイムとなりました。各テーブルの位置も離れていて、テーブルそのものも広く、安心しておいしく楽しいひと時を過ごしました。 

名ガイドの、洒落たアイディアといい、ウォーキング・ルートといい、街中ウォーキングならプロのレベル。これを商売にしてもOKよ、などといいながら解散しました。またのウォーキングが楽しみです。