二月三月、春の候

3日前に義母の納骨を済ませました。亡くなったのは昨年3月下旬でした。80歳過ぎてからメニエール病のために失聴し、そのころから認知症が始まりました。自宅での療養は無理になり、幸い近くの認知症専門のグループホームにお世話になりました。入所して以来、落ちついたのか、穏やかな表情になり、波はありましたが、親切で心暖かいスタッフの皆さんのおかげで、気持ち良く過ごすことができました。折々の季節のお祝いやお楽しみもあり、楽しげに参加させていただきました。コロナのため、最後に会ったのはお正月でした。96歳のお誕生日のお祝いもしていただき、前日まで元気だったそうですが、眠るように逝きました。

 残されたノートにはほとんどなにも書いてありませんでしたが、「戒名はいりません」とありましたので、その通りにお葬式を済ませ、頃合いを見て納骨をと思っていました。千葉にいる義妹も一緒にと時期を見ていました。ところがコロナはなかなかおさまらず、結局、一年近くも家に留まることになりました。納骨の日は、奇しくも義母のお誕生日でした。 

思えば、わが家は二月三月に身近な人を見送ることが多いようです。40年も前になりますが、義父は2月29日に逝きました。4年に一度しか2月29日にならないのが少し切ないです。この頃になると、義父の病床にと義祖母が持たせてくれた紅白の梅を思い出します。わが家の紅白の梅は、ご近所の梅が満開になった頃にやっと蕾が開いたものでした。義祖母が持たせてくれた梅はかろうじて間に合いました。里の父は4月でした。「桜が見たい」と言うので、義弟があちこち探して桜の一枝を枕元に飾りました。桜が咲くのを待っていたのでしょう。義祖母の逝ったのは3月12日、東京でも珍しく大雪の日でした。年は違いますが、里の母が逝ったのと同じ日です。 

義父の先祖は仙台で、代々の墓地は仙台にあったのですが、義母がお墓を東京に移して折々にお参りしたいと提案し、東京でお墓を求めました。そういうわけで、長らく、お墓は義父一人でした。幸い、義母の妹もすぐ近くにお墓を求め、義父と仲の良かった義母の妹の連れ合いが眠っています。ときどき、二人いるから寂しくないでしょうと言ったものでした。(半分は言い訳ですが。)このたび、義母の納骨を済ませ、これで二人になりますし、そぐそばにおじ様がいてくださいますから、昔のように、仲良く楽しくしていることでしょう。 

二月、三月は、来る春を待ち、期待と喜びの時ですが、別れの時でもあり、逝った人を偲ぶ時でもあったのですね。卒業式、退職など様々な旅立も、この世の生を終えての旅立ちも、見送る者には深い感慨があります。見送る側はたくさんの思い出と共に、それぞれの旅立ちに思います。これからの日々が良いものでありますように。どのような旅立ちにも多くの幸いがありますように。