アンデス賛歌

二週間ぶりにまた山に来ました。たった二週間の間に、山も里もすっかり秋深し、の風情でした。二週間前、山の麓はコスモスが咲き乱れていましたが、昨日コスモスはすっかり姿を消しました。開いた穂の薄が白っぽい藁色で土手一面を覆いつくしています。途中、保安林と標識のある山林を通ります。今はアスファルト舗装になっていますが、40年も前には道幅ももっと狭く車一台がやっと通れるほどでした。もちろん舗装もされていませんでした。当時、この林道を通るのは山の中で作業をする車か温泉に行く人たちだけだったのかもしれません。

今は快適になった道の両脇に広がる木々は、緑はやや色褪せ、黄緑、黄色、茶色、オレンジ、赤、真紅、奥に深い緑、そして様々な木肌の取り々々の色。どの色も何という多様なグラデーションを持っているのでしょう。色見本に魅せられて、JISと日本のと西洋の色見本を求めた若い日のことを思い出してしまいました。今、それぞれの色が豊かな色彩で林を染め上げ、上を見れば真っ青な空。白い紗のような秋の雲。紅葉、黄葉の真っ盛りです。何と贅沢な風景でしょう。綾なす色彩豊かな光景も見る者は他にはいないようです。

と思ったら、いたのです。鹿の群れです。中の一頭がこちらに気づいて立ち止まりました。他の鹿たちも立ち止まりました。思わず車を止めて眺めます。と、人間を恐れる風もなく、じっとこちらに目を合わせてきます。なんとつぶらな瞳でしょう。なんと綺麗な面立ちでしょう。なんと美しい姿でしょう。敵意でもなく、もちろん好意もなく、身じろぎもせず、こちらをじっと見つめます。しばらくして車を動かしたら、さっと身を翻して奥へと走り去りました。なんと7、8頭はいたのではないでしょうか。この鹿たちが木々を食い荒らして困らせているのか、と思ったら切なくなりました。

東京から途中休憩も入れて約三時間。調布のインターからここまで、たいていはアンデスフォルクローレを聴きながら車窓の風景を楽しみます。ロス・インカスやクリスティーナとウーゴのデュオは絶品です。これまた40年以上も以前、アンデスの音楽が流行ったことがありました。ラジオに流れる「コンドルは飛んでいく」を聴いて、一度で虜になってしまったのです。中南米ナントカという事務所に行ってケーナを輸入して(傍迷惑も顧みず)練習したり、修士論文が間に合うどうかの瀬戸際であったにもかかわらず、ウニャラモスのコンサートに出かけていったり。手に入る限りのレコード、レコードが姿を消してからはCDを集めたのもその頃でした。ウィーン少年合唱団のとは全く趣の違う「花祭り」に吃驚したのも、やはりその頃でした。かくして、我家には数本のケーナチャランゴ、タルカ、パンパイプなどの楽器が並ぶこととなりました。

ロス・インカスのケーナの音色そして歌は、遠い日のインディオの魂を響かせてくれました。ある音楽評論家は、彼らは楽器演奏は上手いが歌は下手だ、という趣旨のことを言いました。ああ違う!そうではなくて、彼らの歌声は、西洋音楽の歌唱法とはまったく無縁の、インカの原初の歌なのだと思いました。彼らの歌に魂が揺さぶられ、見たこともないのに、本当のところは何も知らないのに、それなのにインカのインディオになってしまったような心持ちになってしまうのです。それから40年、今も彼らの演奏は、何度聴いても飽きることはありません。

ロス・インカスとはかなり質の違うフォルクローレを歌うのが、クリスティーナとウーゴです。空の彼方に突き刺さるような、澄んだ美しいソプラノのクリスティーナと柔らかい豊かなバリトン・ヴォイスのウーゴのデュオはロス・インカスとは別の、フォルクローレの魂、インディオの魂を歌い上げます。特に好きなのは「太陽への賛歌」「火の鳥」です。「太陽への賛歌」はケテュア語で歌われますが、その歌は祈りのように天に向かって響きます。透明なソプラノで歌い上げられる「火の鳥」は火の鳥の魂の絶叫、インディオの魂そのものです。インディオの歴史に思いをやれば、歌そのものが切なる祈りなのでしょう。残念なことに二人は交通事故で亡くなりました。その時クリスティ-ナはまだ35歳、ウーゴは52歳でした。仲の良い夫婦であったそうです。歌手でありギタリストでもあるグラシエナ・スサ-ナはクリスティーナの妹さんと聞きました。

山の家に到着した時、夕方が始まりかけていました。ほとんど人の姿も見えないここなら、音を出しても傍迷惑にならないかもしれません。またケーナの練習でもしようかな、と暮れなずむ空を見ながら思ったことでした。