キーツ「秋に寄す」

先のブログで「晩秋」と言いましたが、暦を見れば今日は10月13日、本来ならば秋の只中なのですね。台風の前後があまりに寒く、(そういえば気象予報士も11月の気候と言っておりました)もうすぐ冬と思ってしまったのですね。例年でしたら虫の音ももっと賑やかだったはずですが、ここ数日、一つの声が切れ切れに聞こえてきます。たまに複数で鳴いているのを聞きます。ああ、まだ秋、と思います。 

秋になると思い出すのはキーツJohn Keats、1795-1821)の「秋に寄す」(‘To Autumn’)という詩です。学部の「ロマン派の英詩」という授業で読んだ作品の一つです。キーツシェリー(Percy Bysshe Shelley、1792-1822)と並び称されるロマン派の詩人です。二人は生きた時代も同じなら早世した点も同じです。詩風はキーツは絵画的、シェリーは音楽的と言われているようです。明治・大正の学生にも人気のあった詩人で、八木重吉キーツの詩を好み、影響も受けたと言われています。 

さて、キーツの詩ですが、この詩は3スタンザで秋の情景を描いています。初めは秋の実りの様子です。庭木の林檎も実らせ、熟させ、瓢箪や榛を成長させ、蜂は溢れる蜜に喜びます。秋の陽射しは暖かく、豊かな秋です。第2スタンザは刈り入れです。秋の実りは店先に並べられ、刈り取られた後には落ち穂拾いの光景が見られます。林檎は搾られて汁となっていきます。第3スタンザは、千切れ雲、蚋の悲しげな歌、藪蟋蟀など、秋の終わりの風景を描いています。 

授業では、三スタンザで初秋、中秋、晩秋を描いていると伺いました。今読み直していますと、私の知っている秋の三景とキーツが描く三景とは少し違うようです。キーツはほとんどロンドンで一生を過ごしたと言いますが、この詩は田園の秋晴れの風景のようです。キーツにとっての秋は、どんな風であったのかと思います。25歳の若さで世を去った多感で心豊かな、天才詩人の秋の歌を読み返しながら、キーツの描く秋の絵を心に描きます。 

私の描く秋はキーツとは少し違います。秋の始まりは、さやさやと吹き渡る涼しい風、高く青い空、鱗雲、空気が澄んで遠くの音が響きます。茸や秋の果物、秋野菜が出回り、野分、紅葉、薄、名月の日々が流れ、昼間の時間が短くなります。晩秋になると朝晩の空気がめっきり冷え、夜が長くなります。想像の中で見る枯れ果てた野では風が吹きまくっているかもしれません。空の星は煌めき、月がよく見えることでしょう。山はとっくに冬になっているかもしれません。 

生まれた土地で過ごした時間よりも、東京で過ごした時間の方が遙かに長くなりました。年を重ねるにしたがい、この地で暮らすことに馴染み、愛おしいと思うようになりました。東京の四季もそれぞれ好きですが、特に秋から冬にかけての季は好きです。今年は、秋の日々が足早に逃げていってしまいそうですが、どうかもうしばらく、秋の日々を楽しませてくれますようにと思ったことでした。