夭折の歌人 笹井宏之 

 この冬籠もりの間、笹井弘之さんの歌集をゆっくり、ゆっくり味わいました。歌集は担当しているカルチャーセンターの年末最後のクラスの後で受講生からお借りしました。自由英作文で笹井宏之さんの短歌を紹介して書かれた内容に興味を持ちました。説明を聞いて一層興味を引かれました。それで歌集を貸して下さったというわけです。以来、毎日少しずつ頁を捲っては、一首、一首心深く味わいました。一首、一首、言葉が心に落ちるたび泣けてきました。このような短歌に出会ったことがなく、その感動をどう言葉に表して良いのかわかりませんでした。毎日、頁を繰っている間に、心が涙でいっぱいになりました。そして、その感動をブログで言葉にしたいと思いました。

 最初の頁の歌からすっかり圧倒され、身動きが取れなくなり、何と表現して良いのか言葉も無く、大変な衝撃と感動を受けました。そのうちに、泣けてきたのですが、その理由が、哀しいのか、嬉しいのか、寂しいのか、感激しているのか、言葉にできませんでした。

 

 ふわふわを、 つかんだことのかなしみの あれはおそらくしあわせでした

 

 からだじゅうすきまだらけのひとなので風の鳴るのがとてもたのしい

 

 奪われてゆくのでしょうね 時とともに強い拙いまばゆいちから

 

 はじまりのことばがゆびのあいだからひとひらの雪のよう落ちた

 

 さよならのこだまが消えてしまうころあなたのなかを落ちる海鳥

 

 えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい

 

この短歌は、「歌集 ひとさらい」(2011)と「歌集 てんとろり」(2011) に収録されていたものです。解釈や解説は到底及ばない、ただ、歌の魂を強く感じるばかりでした。

 一つ一つの言葉が魂からふわふわと流れ出てくるような、その言葉がみな魂になって、永遠の宇宙を、深い大海を漂っているような印象を受けました。歌からは細かい、細かい、繊細な直感と感触が、時に針のように、時に霧か霞のように、時に薄い花びらのように、漂い流れてくるようで、気がつくと心にも、頬にも、涙が流れました。こんな思いははじめてといっていいくらいの不思議な情緒でした。

 歌によっては、漢字とひらがなを使い分けているようです。「えーえんとくちからえーえんと・・・」は、はじめ、「エーエンと口から」と感じていましたが、理性的に読めば「永遠解く力」なのですね。でも、ひらがなで「えーえん」とありますと、これは泣く声の「エーエン」でもあるような気もしてきます。掛けているのかもしれません。永遠を解くことと魂が泣くことの間になにかの繋がりがあるのかもしれません。

歌から流れくることばを心の中で転がしておりますと、しんと静かな宇宙全体の中に一人取り残されたような、孤独で寂しい、それなのに愛情に包まれ、ほんのり幸せで暖かい、言葉では言い表しがたい不思議な気持ちになってきます。

 こんな短歌があるのですね。笹井宏之さんは人生の半分ほどを難病のため思うに

まかせない日々を過ごし、26歳の若さで夭折されたそうです。笹井宏之さんの短歌を何と言っていいのか、言葉が足りませんが、笹井宏之さんの短歌に出会えて心から幸せだと思いました。