朝の散歩

コロナの日々以前は買物やちょっとした用事のついでに遠回りをしたり、一駅歩いたりといったやり方で散歩をしていました。ところがコロナの日々が始まり、緊急事態宣言以降はすっかり蟄居生活になれてしまいました。さらに長引く梅雨で文字通り、急を要すること以外に家を出なくなり、当然ですが身体が重くなりました。そろそろ歩こうかと思っていましたが、梅雨が開けてからの猛暑はこちらの出鼻を挫き、昼間はとても外に出られたものではありません。結局、家の中で青息吐息の日々となりました。 

これではいけないと、時々、早朝、涼しいうちに散歩に出ることにしました。エアコンなしでも明け方には布団が欲しいところで育ちましたので、東京では早朝といっても、ひんやり涼しいわけではありませんが。今は5時を過ぎると空が明るくなってきますので、一人で出ても心配はありません。マスクは持参しますが、人通りのないところでは外します。この時間帯ですと、とりあえず爽やかで気持ちがいいです。 

行き交う人はほとんどがお犬さまのお散歩です。お犬さまのためだけではなく、ご本人も、毎日のお散歩で不定愁訴がなくなったとか、犬友ができたとか、よいこともあるようですが。かつて、「中年過ぎの男が夜一人で歩いていると、特に自転車に乗っていると、お巡りさんから職務質問を受ける、」と憮然としていた同僚がおりました。みなに「昼間みれば人畜無害なのにねぇ」と揶揄され、苦笑していたのを思い出しました。 

今日のコースです。まず北に向かって歩きます。家からは北に向えば下りなのです。近所に城山の跡というのがありますから、もしかすると、昔、昔にはお城があったのかもしれません。そこから日陰になっているところから東に曲がります。日陰になっていない所で東に歩歩きますと朝陽が眩しいのです。住宅街の静かな道を歩きます。ここはあまり通ったことがありません。豪華な門構えのお屋敷、煉瓦造りや木造二階建てなど、家々はそれぞれ違いますが、家並みは調和が取れていて落ち着いています。庭木の多い家、塀際にたくさんの花々が咲き乱れている家、門柱の隣に小さな長方形の池を作って目高を泳がせている家。それぞれの家の営み、それぞれの幸せが零れて見えてくるようで、こちらの心も弾みます。 

二、三、更地になっているところがあります。区画整理をして売り出し寸前と思われるところもあります。この辺はかつて東京の郊外だったところですから、敷地の広い家が多かったのです。代が変わるごとに手放すお家が出てきて、その跡地はマンションになったり、5、6軒の分譲住宅に変わったりします。以前は見慣れていた所でも、取壊されると元はそこがなんであったかを忘れてしまいます。かつて歯医者さんだった方はご自分の敷地を区に寄付し、おかげでそこはデイサービスと認知症専門のホームになりました。こういう身仕舞の仕方もあるのだなとありがたく思いました。 

さて、今度は東から南に向かいます。東京の道は必ずしもまっすぐではありませんので、ここで曲がれば元のあの道にぶつかる筈だなどと思っていると、とんでもないところに行ってしまうことがあります。南北に通る道は電車の窓から毎日のように見ているのですが、そこを歩いていると、どの辺かがわからなくなるのです。空を見たり、周りの景色を見たり、雲や影の様子を見て方向を知る人も多いようですが、羨ましい限りです。 

だんだん見知らない街並みになってきましたので、今度は西に向かって歩いてみます。この方向に我家がある筈なのです。ふと見上げると、きれいな青空にぽっかりと満月を過ぎた月が浮かんでいます。淡い白っぽいお月さまが空の色に透けて見えます。デッサンの確かな、きれいな絵を描く、今市子さんという方の『百鬼夜行抄』という漫画の一齣を思い出しました。妖怪を見てしまう質で、この世と異界との境界線が揺らいでいる主人公と、その周囲に暮らす個性豊かな、どこか浮世離れた家族、鴉とおぼしき(妖力については定かでない)式神が繰り広げるコメディタッチの物語は面白い、の一言に尽きるのです。 

その中に「昼の月」(だったか「白い月」だったか、)という一編がありました。火鉢に網を乗せてお餅を焼いて食べている(ということは、季節は冬、それもお正月を過ぎてまもなくの頃でしょうか、)青年と女性との会話です。言葉は正確ではないのですが、青年のそばで甘えている女性に、「そろそろ帰ったら」と青年が声をかけるのです。「あんた、昼の月に似ているんだよね。…どこか頼りなくって、消えてなくなりそうで…。」この科白で、あ、この女性はこの世の人ではないんだ、と知るのです。空に浮かんだ、もうしばらくすれば目には映らなくなる白っぽい月は、異界からこの世に現れてきたもののようにも見えます。以来、昼に見える月を見るたびに、このシーンを思い出します。このところ、今市子さんの漫画を見ていませんが、元気で活躍していてほしいものだと思いました。 

ふと気が付くと、いつも買物で通る道を歩いていたのでした。そっかァ、いつも歩いている道を一回り大きく歩いていたのだ、と気が付きました。だいぶ歩きました。今日のお散歩はこれでおしまいにしましょう。朝のよいひと時でした。