「昼の月」後日談―大いなる勘違い

「朝の散歩」で「昼の月」についてちょっと書いたところ、同じ漫画を読んだ友人から、あの粗筋は…とコメントがありました。あの本は絵がきれいだから処分するはずはない、とってあるはずだと、書庫から探し出して読み返してみて吃驚! 

「昼の月」は平成7年に初版が出た『百鬼夜行抄』の第1巻に収録された作品で、最初は平成6年の『眠れぬ夜の奇妙な話』(Vol.18)で発表されたものです。第1巻に収録されている『百鬼夜行抄』シリーズは当初、平成6-7年にかけて『ネムキ』VOL. 21-25で発表されました。最初は連載予定ではなかったようで、最初の『精進おとしの客』は、『百鬼夜行抄』とは別扱いになっています。 

「昼の月」は『百鬼夜行抄』に登場する人たちとは無縁の作品です。舞台は『百鬼夜行抄』とよく似ているように思います。現実と非現実の境界が曖昧で、妖怪が現れても違和感のない舞台設定です。今時、こんな舞台は日本中探してもないだろうとは思うのですが、おそらく戦前には、もしかすると東京オリンピックの前くらいまではあったかもしれません。日本の近代的な都市とは無縁の、あまりに明るすぎない、古い日本の習俗や慣習が生きているところでの話です。 

分家のお嬢さんが本家に嫁いできた結婚式から話が始まります。本家と分家はかつては一緒に暮らしていたのですが、その後家を出たのです。女性は事故で両親を失い、喪中の身でありました。この結婚は本家の先代が決めたことでした。こんななかではあるけれども、病院にいるよりは、ともかくも式を挙げて、本家で暮らす方が女性のためにはよかろうということで結婚式になったのです。当のお相手はアメリカ在住で式には帰れず、女性は喪中で傷心の只中というおかしな結婚式ではあるのですが。 

自動車事故を起こしたとき、運転していたのは彼女の父親だったのですが、女性は自分が運転をしていて両親を死なせたと思い込み、心が混乱し、目が見えなくなり、活気を失っています。魂を失った女性が広間で式を挙げている時、かつて溌剌としていた彼女の分身が、本家で一番気が合い、仲良くしていた幼馴染の叔父のもとに現れます。本家で結婚式を挙げている花嫁こそが女性の本身なのです。 

分身の彼女が現れた叔父は本家の居候のような身の上で、女性は叔父のそばで、座敷童らしい二人の子供(もしかするとかつての彼女と叔父)と賑やかに過ごします。昼の月の場面はこの不思議な状況で言及されます。昼の月は「確かに月なんだが 妙にうすぼんやりと白くって…」、「そこあってはならない物が 存在する奇妙さってものかなあ」と叔父は語ります。「昼の月もきれいだけどな やっぱりあれは不自然だし 寂しいんだよな」と続け、「いいからお前も早く帰れと」と言うのです。彼女は、無表情なお人形のような様子で本家の母屋にいる本身を昼の月だと思っているのですが、叔父は彼女を昼の月だと言っているのです。分身は本身のもとに「帰れ」と言っているのです。分身だから、冬だというのに夏のワンピースで過ごしているのですね。 

彼女は本身の戻り、自動車事故が彼女の責任でなかったこともわかり、自分を取り戻し、視力も戻ります。昼の月が浮かぶ背景のなかで、幻と現実の間にいる彼女に、叔父は「早くこっちに帰ってこいよ」と言います。この「帰れ」は、幻の世界から現実に帰ってこいということなのですね。 

現実に戻ってきた彼女は、アメリカから結婚相手が返ってくる前に、逃げ出すことを決心します。最後は叔父と一緒に家を出ることが暗示されてお話は終わりになります。叔父はだいぶ以前から、視力を失っていたようで、次第に目が見えなくなっていく日々を、「孤独に朽ち果てて」いくままに生きていたのです。分家の人たちが家を出るとき、女性は叔父に昼の月を示すのですが、その時すでに彼は「昼下がりの空に浮かんだ白い月は」見えなくなっていたのです。「(明るいところでは)私が手を引いてあげるから、暗いところでは手を引いてよ」と言う彼女の言葉は気が利いています。 

私は、分身である女性は異界から来た人で、最後に家を出ていく姿を、二人が異界に連れ立って出ていくのかと勘違いしていたのです。昼の月の儚さ、朧げな姿が、この世を超えた彼らの魂のようで、その情景に刺激され、想像が勝手に膨らんでしまったようです。なんという大きな勘違いでしょう。友人の記憶の正しさに脱帽し、感謝するとともに、私の記憶の当てにならなさに呆れるばかりです。こんなことでは、過去の記憶がどの程度確かなものか、不確かなものか、言葉にするのも…。