折々に、歳は話題になり、また話題にもしたものです。ただ、何歳だからどうこうというイメージは、明確ではありませんでした。八つ、九つの頃、私にとって高校生は大人に見えました。中学を卒業して就職する人が少なからずいた時代ですから。まして30歳以上の大人に対しては、中年とか初老とかいう言葉は知らず、大人の次は老人でした。

自分がその年齢に達してみて吃驚するのは、30歳、50歳、たいしたことないな、という思いです。30歳といっても、私はなんと幼稚で成熟していないのだろう、こんなものか、という思いです。さらに、40歳、50歳になっても、自身の未成熟さに驚くのです。子供のころは、父母に子供時代があり、思春期があり、物思う心煩いがあったなどということについては、考えが及びませんでした。

私自身が年を重ね、親がどのような様子であったのか、その言動が記憶に残るようになってから、折々の言葉や所作を思い出すたび、親の精神生活に思いが届くようになりました。今ほどの思慮分別があったなら、もっとよい子でいたものをと悔やむ気持ち、ごめんなさいと足りぬ自分を詫びる気持ちが、折々に沸き起こってきます。

順送り、という言葉がありますが、親については想像しにくいです。教師時代、学生たちの言動を見ていて、時々、順送りという言葉を思い出しました。とはいえ、私の学生たちは、かつての私よりずっと素直でよい子だな、と思うことが多かったです。若い人が必死になって何かを考え、思い、それが言葉になるなら、たとえ生意気な言いようでも、それは受け止められるものです。ものの言いようは、後からでも身につくでしょうから。私はもっと生意気だったと思うと、生意気さを叱る気にはなれませんでした。

よくは知らないくせに、あるいは誤解して言っていたのに、そんなことはつゆ思わず、生意気なことを言ったとき、ふんわりと受け止め、深い言葉で返してくれた周囲の暖かさがあったことを思います。相手に向けた言葉の刃が、後で自身に返ってくることを知ったのはずっと後になってからのことでした。言葉を発するのは一度でも、返ってくる刃は何度でも私の心を切り刻みます。

私の未熟さ、周囲の懐深い優しさを思う時、かつて周囲にいた人たちのようなあり方ができればなと思います。そうした成熟さを子供の時から身につけている人がいるものです。そうでない人は、自身で気が付いてそうありたいと望み、相務めるしかありません。しかも、心の成熟さというものは、どうやら歳を重ねることで自然に身につくものではないようです。50歳になっても、60歳になっても、成熟とはかなり隔たっている自身には驚くしかありません。思えば、子供のころ、悲しくて泣くことはありませんでしたが、悔しいとワァワァ泣いて、「お隣のお嬢さんはしくしく泣くのに…」と親を嘆かせました。今でも同じだな、と苦笑するばかりです。

まあ、これが私なのでしょうね。70歳を過ぎてもあまり変わりません。今朝、かつての教え子から届いた優しい暖かい手紙に、今も育ててもらっているなと、ふっと、歳とは…と思いました。