ネガティブ・ケイパビリティ

2月3日の朝刊に目を通していると、「ネガティブケイパビリティ(negative capability)」という言葉が飛び込んできました。帚木蓬生さんのコラムでした。「新型コロナウィルスの感染拡大が続く中で答えのない事態に耐える力を指す」という意味で用いた言葉と解説がありました。 

この言葉はイギリスのロマン派の詩人キーツJohn Keats、1795-1821)の書簡のなかに登場する言葉です。学部の英詩購読「ロマン派の詩人」でキーツの作品を読んだときの頃が懐かしく思い出されました。さらに、当時は学科内サークルがいくつかあり、私は英詩サークルに所属していました。顧問はロマン派の、特にシェリー研究を専門としていた先生でした。楽しく文学を味わうのが目的というサークルが多く、二つも三つものサークルに所属している学生もいました。そのころ、大学祭は文化系のクラブやサークルの研究発表も盛んで、英詩サークルではキーツの「書簡」を扱いました。そのときの展示の中心が「ネガティブ・ケイパビリティ」だったのです。 

キーツは父を9歳で亡くし、その後母も亡くし、14、5才で外科医の徒弟として働く一方、詩作に傾倒したのでした。22歳のときに処女詩集を出版し、結婚する相手もいたのですが、次に出版した詩集が、評論誌、雑誌から手酷い批判を受け、彼はすっかり気落ちし、その上、結核に罹ります。彼の母も弟も結核で命を落としたのですが、病床の中で、後年代表作となる、今でも読まれ続けている名詩を創作します。「秋に寄せて」("To Autumn")、「ギリシアの古壺のオード」"Ode to a Grecian Urn"など代表的オードも次々と発表されました。しかしながらキーツの病状は好転せず、婚約者との結婚も諦め、イタリアで療養し、友人の手厚い看護を受けながら、1821年、25歳の若さで死去し、ローマの新教徒墓地に葬られました。彼の墓石には「その名を水に書かれし者ここに眠る("Here lies one whose name was writ in water")」と彫られています。イタリアに滞在していた時の彼の住まいはローマのスペイン広場のすぐ近くで、今は「キーツシェリー博物館」になっています。スペイン広場はいつも賑わっていますが、博物館が閑散としているのは少し淋しいです。 

ネガティブ・ケイパビリティ」とは、研究会当時の知識によれば、キーツが不確実なものごと、未解決なものごとを、焦れず、恐れず、淡々と受容する能力を指した言葉です。日本語では「消極的能力」、「消極的受容力」などの訳語がありますが、私はサークルの先生、先輩の選んだ「消極的能力」を採っています。第二次世界大戦に従軍した精神科医ビオンがこの言葉を再発見したそうです。 

キーツによればこの能力をもっていたのはシェイクスピアだったそうです。授業のときの先生の講義によれば、キーツは人間の一生をいくつかの部屋に喩えて考えます。生まれたばかりの赤子は真白い部屋、次に乙女のピンクの部屋(人生に夢を見る乙女の夢の時ということでしょうか)、次に世の中の様々は悪や苦悩を知って暗い部屋になりますが、それを超えると再び白い部屋になります。この時の白は、赤子のときの白ではなく、たくさんの色の光線が一点に集まると白い光になるように、すべてを超えた末の白なのだそうです。暗い部屋の様々体験をネガティブ・ケイパビリティの能力で超えることができるならば、最後の白い部屋に至れるということだと思います。 

帚木蓬生さんは今の時節をネガティブ・ケイパビリティで乗り越えようと呼びかけているのですね。この方の著書は何冊か読み、共感を覚えたものでしたが、このたび、コラムのおかげでキーツに再会することができました。今日は久しぶりに、キーツの詩を読み返そうと思います。