年の暮れ

 いつの間にか日々が流れ、今年もあと僅か。歳月人を待たず、とはよくいったものです。そう言えば、今年、「年の暮れという感じがしない」とは耳にしていたのですが、それすらも思わずに無為徒食の日々を過ごしていたのです。締め切りのある仕事が一段落して日捲りの暦を見ると残すところ後僅かです。今年もお正月に追いつけそうもないなぁと思いながら、ボチボチと年賀状を書き始めました。26日に第一回目を投函し、28日に第二回目を投函し・・・。

 この時期になると、喪中のお知らせや年賀状辞退の葉書がポツポツと入ってきます。喪中のお知らせについては、直接には存じ上げない方でも、ご冥福を祈る気持ちが湧いてきます。和泉式部の歌によれば、かつてはお正月には祖霊が訪れたそうですから、この時期に故人の冥福を祈るのは時に適っているのかもしれません。

 年賀状辞退の葉書は、ここ10年ほど少しずついただくようになりました。70歳になったので、80歳になったので、という理由が多いようです。まあ、年賀状を年内に間に合わせる、ということが大変になってきたのでしょう。こうした葉書をいただいて思うことは、それほど大変だったのか、お気の毒だったなぁ、という思いです。

 大分以前から、年賀状を元旦に届くよう用意することが出来なくなりました。その最初は、修士論文の提出の年でした。締め切りが1月10日で、論文完成が間に合うかどうかの瀬戸際でしたので、年賀状どころではなかったのです。家人の実家に転がり込み、食事の時間もそこそこに、お握り片手に作業を続け、最後は家人の父親まで巻き込んで、タイプライター三台でやっと仕上げたという次第でした。あの当時、まだコンピューターではなく、英文タイプライターの時代でした。三台のタイプライターが立てる騒音はたいしたもので、家中、さぞ迷惑でしたでしょう。文句も言わずに「仕上がって良かったわね」と笑ってくれたことが、今もありがたいです。口頭試問のとき、「タイプの活字が三通りあるね、」と苦笑いされました。提出後、多分、15日頃、遅ればせの年賀状をご挨拶が遅れたことのお詫びと共に投函したのでした。

 年賀状を書くことを億劫と思ったことはありません。なかなか会えない人でも、一年に一度、思い出を胸の中で転がしながら、一年の初めにご挨拶をするのは、楽しい行事です。宛名を書きますと、相手の顔が浮かんできます。子供時代や中高時代の友人は、想い出すとき、かつての子どものときのままの顔で思い出されます。学生時代、大人になってから仲良くなった友人、知人も、20年以上経っておりますのに、最初に知り合ったときの笑顔です。一年に一度のこのひとときは、いつまでも大事にしておきたいと思います。

 とはいえ、元旦に届かない無礼は、どうぞ、どうぞご寛容くださいますよう、伏してお願い申し上げます。

 これが今年最後のブログでしょうか。来る年が、少しでもより良い日々でありますよう、心から祈りたいと思います。皆さまには、どうぞお健やかに良いお年をお迎えくださいませ。