お正月

 今年の松飾りも無事に取れて、新しい一年が動き出しました。関東のお正月らしい、風の冷たいお天気の良い冬日和でした。孫は3日続けて近くの原っぱ公園に凧揚げにいきました。

 お正月の準備は暮れから始まっています。大晦日の年越し蕎麦をいただく一方で、お正月の用意もいつも通りにいたします。あれこれお節料理の準備をししながら、かつてこの家に4世代の家族が揃っていたときの買物や準備などを思い出します。

 仕事納めの後、男たちは庭やあちこちの掃除です。台所は女三人がおしゃべりをしながら料理です。義祖母は和食専門、義母は肉類、私は栗金団と昆布巻きです。この作業が私は好きでした。甘藷は金時芋です。最近はたくさんの種類が出ていてどれもおいしいのですが、やはり、蒸かし芋も、焼き芋も金時芋が好きです。金団も、勿論、金時芋です。芋を濾すのとゆっくり煉りあげる作業は一番時間がかかります。辛抱強く続けていますと、どんなに時間がかかる作業も終わりがきます。出来上がったときの味見が上手くいくと幸せになります。単純作業は性に合っているようです。草むしり、雑巾縫い、切り出しナイフで鉛筆を削るなどといった作業は飽きが来ません。昆布巻きは吉祥寺の乾物屋さんで買う身欠き鰊と日高昆布、それから干瓢です。昆布と鰊が材料ですから、どう作っても美味しくできます。

 義祖母でなければ出来ないのは、お雑煮の味付け、数の子の味、膾の味です。塩引きや新巻を丸ごと一匹でいただいていた頃には、鮭の頭と檸檬と玉葱で作る氷頭膾は家人の役割でした。他に黒豆、田作り、蒲鉾、数の子、伊達巻きなどなど。お正月の三日間、食卓にはいわゆるお節料理が並びます。お屠蘇は形ばかりです。日本酒でゆっくりとお節をいただきます。大体関東風ですが、義祖母たちの時には、膾もお雑煮も義祖父の言葉にしたがって本間家風にアレンジされていたそうです。義母はそれをそのまま継承しました。仙台出身の義父は養子ではありませんが妻の両親と暮らしてくれたそうで、義祖母や義母の努力も適わず、心ならずも仙台風のお雑煮は作れなかったようです。私たちの代になって五色膾は紅白膾になりました。かつてお節はほとんど家で作っていましたが、今は、昆布巻き、栗金団、伊達巻き、二色卵などは口に合うものが見つかり、買ってきます。今、台所の主は家人。洋食の時はシェフ、和食のときは花板さんです。正月料理の得意は雑煮と膾。この日は隣家に引っ越してきた娘の家族も一緒に、皆でニコニコいただきます。

 7日は七草粥。今は七草セットが売られています。簡単です。かつて家で七草は揃わず五草くらいで、他はあり合わせの野菜になりました。それが終わると15日の小豆粥です。この日は鏡餅でお汁粉をします。最近は丁度いい大きさの鏡餅を見つけるのが難しくなりました。鏡餅の中に切り餅が真空パックになって入っているのを見て、なるほどと思う反面、やはり普通の鏡餅がほしいです。

 これで一応の正月行事は終わりです。大晦日から15日までのそれぞれに日本酒、ワインがお供をします。いや、お酒とワインにこちらがお供をします。お正月にいただくお酒の銘柄は大体決まっています。ワインは私の好みを知っている方がこの時期になると送って下さり、有難いことこの上なしです。

 怠け者の節句働きとはよく言ったもので、お正月だけでなく、年中行事はそれぞれ楽しくその準備も楽しいです。夕べ、義父の遺品のなかにあった「多ヶ谷 家齢記並續書」を捲っていましたら、一年中あれやこれやいろいろ細々とした行事があったようです。これを全部行っていたら相当手間暇かかるなぁと思いました。よほど平和でなければこうしたことは出来ないのではないかと思います。年中行事をするかしないかではなく、そうしたことができるくらい世の中が平和であると良いのになと思いました。

 昨年はあまりにも辛いニュースの多い一年でした。今年は少しでも平和で穏やかな一年でありますようにと、心から願いました。