ああ、一年経ったなぁ、と思ったのは、庭に鉢植えで置いてある柿の若木です。これは、家を改築することになり、増築部分にあった甘柿を斬らざるを得なくなったので、せめて子孫を残そうと思い、秋に実った種をヨーグルト容器にいくつか植えたものです。年を越して春になりましたら双葉が出て来ました。植木屋さんの話では、甘柿の種を蒔いても出てくると渋柿になってしまう、甘柿にするには接木が必要だそうで、「そっかぁ、」と思いました。容器の中の木は元気に育ち、やがて直径2ミリ、高さ10センチくらいになりました。頼りない細い棒でしたが、せっかくここまで伸びたのですから、取りあえずそのまま様子を見ることにしました。
改築が終わったのはその年の秋の終わりで、容器の中の木を小さな鉢に移し、庭に置き、雑草と紛れないように側に柿の木よりずっと太く高い棒を立てました。こうして冬を越しました。さて、四月も終わりの頃、ふと見ると、昨年ブログで書いたように、柿の若木が育っていたのです。このまま大きく育って、渋柿になるならそれでもいいかなと思って、折々に様子を見ていました。
さて、コロナと共に日々は流れ、気がつけば一巡りしていたのです。そして、この4月末、あの若木が、背の高さも倍になっていたのです。60センチくらいに伸びています。葉もたくさんつけて、幹と呼んでもいいくらい、しっかりした若木になりました。
この姿を見て、もしかしたらこの木を接木にして、もう一度甘柿を育てることができるか、今なら間に合うかもしれない。そうしたら、二代目甘柿の実るのを見ることができるかもしれない、その実は一代目と同じ味かしら、と想像がふくらみました。
この一年、家に閉じこもる日々で、居間から庭を眺めることが多い日々でした。柿の木も臘梅も山椒もちゃんと緑だわ、と安心していたのですが、一旦家に籠もるとだんだん外には出なくなりがちの日々でした。こうしているうちに動けなくなってしまうのかもしれないと、少々怖くなりました。世の中に何が起ころうと、草木はちゃんと時の刻みに従って生きている証を身体一杯に実現しているのですね。
人間の、というより私の怠惰な心身に反省し、気を取り直して歩こう!と思ったことでした。