コロナの日々

「新型コロナと共に」と言われて久しくなります。当初は、感染力の強さで中世後半にヨーロッパを襲った、いわゆる黒死病と呼ばれたパンデミックを連想しました。新型コロナと共に日々を過ごすうちに、中世の黒死病についても、新しく想像の及んだこともありました。 

例えば、黒死病の死者数です。一般には、イタリアを中心に発生した黒死病は、1348年にはアルプス以北のヨーロッパにおよび、14世紀末まで3回ほど大流行と多くの小流行を繰り返して猛威を振るいました。当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2(約2000万-3000万人)イギリスやフランスでは過半数の人口が減少した推定されています。ヨーロッパまで行かなくとも、日本の自然災害、疫病、疱瘡などの厄災は何度も都を襲い、祇園祭が行われ、末法思想もうまれました。多くの命が失われることについて、私はその数字に驚くばかりで、どのように死に至ったかについてはほとんど考えませんでした。単純に疫病に感染して亡くなったのだと考えていたのです。 

感染拡大のために休業要請が出されたころ、そのための多くの個人経営の店舗や非正規雇用の方たちが困るだろうなと思いました。日が経つにつれて、業種によっては収益を上げたところもありましょうが、個人経営の店舗や非正規雇用者のみならず、中小、零細企業、大企業といわず、経済が困っている状況が報道されるにつれ、それに伴う様々の悲惨を知るにつけ、中世の黒死病も恐ろしいのは病気感染だけではなかったのだということに思いがいたりました。 

現在、ニュースなどでは、倒産は失業者が増えていること、自殺者が増えていること、医療の現場が音をあげていることなどが報じられています。近隣でも小さなお店、個人経営の店舗などが閉店しています。また、ひとり親世帯や低所得者家庭、介護などの施設の困難、帰国できない留学生、外国人研修生の気の毒なニュースも耳にします。経済的困難にともなう犯罪も多く報じられます。中世の人たちも、まして行政サービスが行き届いていなかった時代、社会的弱者は、真っ先に困窮したでしょう。そしてそれに伴う犯罪や悲劇も多かったことでしょう。そのために命を落とした人たちが少なからずいたのだと気が付きました。

社会的弱者が真っ先に感染したことはもちろん、避難することも、病に打ち勝つ栄養も取れず、置かれた状況は絶望的で不安だった、そうした現実の中で当時の人たちは生きていたのだという側面にもっと思いを至らせるべきだったと思いました。恐ろしく絶望的な日々を、中世の人たちはどうやって生きたのか、京の人々はどう考えたのか、子供を抱えた若い父母は、年寄りを世話した子供は、どういう心持で過ごしたのか。当時の人々がどうやってパンデミックの日々を生き抜いたのか、調べてみようと思いました。