山の家 その2

山の家は山林の中にありますから、里で見られる花は、今は見えません。お盆が終わると秋が始まり、東京が残暑で苦しんでいるとき、こちらでは秋風が吹き、桔梗、竜胆、萩、撫子などの秋の花が咲いています。撫子は平地で見るよりもピンクの色が濃いようです。空気か土のためでしょうか。 

里では、家々の庭にはコスモスが咲き乱れ、沿道には黄色、オレンジ、赤のベゴニア、そして百日草がきれいに並んでいます。所々に薄の群生があり、風に靡いて、海の波のようです。待宵草、小菊も草むらに見えます。ずっと月見草だと思っていた花は待宵草の仲間で、月見草は白い花だと聞いたことがあります。ということは、私はまだ月見草を見たことがないのですね。

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佐久の近くの立岩湖の畔に咲いていた秋の花です。黄色い花が待宵草の仲間でしょう。私はこの花をずっと月見草だと思っていました。立岩湖では鰙や岩魚が釣れるようです。この時も鰙を五尾釣り上げた方がいました。

東京に来た最初の一年間は女子修道会で経営している女子寮にいました。その時仲良しになった四年生は声がきれいで物知りで、付設されている幼稚園のブランコに乗りながら「月見草の歌」を教えていただきました。そのころはまだ物覚えが良かったので今もまだ覚えています。 

さて、山の家の近辺は、大体、水楢です。他に、白樺、松、樅、楓、落葉松。もう少し上に行けば落葉松です。すでに紅葉が始まって茶色です。落葉松は郷里の小学校の裏庭にも数本ありました。落葉松の葉が金色に輝き、落ちると根元の周りが金色の絨毯を敷いたようになります。この地の落葉松の紅葉はもう少し先かもしれません。水楢も葉先が少し黄ばんでいるものがありますが、大方はまだ緑です。落葉樹は黄色味を帯び、淡いオレンジ色に紅葉しているものもあります。大きな葉をつける楓は片側が真紅、真ん中は赤みがかっていますが、その先はまだ緑です。

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水楢の木々です。写真の木は細いですが、太い木の幹は一抱えもあります。紅葉は始まったばかりです。黄色になりかけた枝もありますが、大方はまだ緑です。

見たこともない茸が落木の回りに出てきています。茶色の典型的な茸の形ではありますが、食べられないような気がきます。この辺では、花猪口というおいしい茸が出ます。落葉松の下に生えるそうでが、今回、家の周りでは見ませんでした。上の方では採れるかもしれません。それは、それは、おいしい茸です。時期がずれているのかもしれません。昔お世話になった清里のペンションの方は、たくさん採った花猪口を塩漬けにして一年中いただくのだそうです。 

山の家のある高登谷山は標高1846mでハイキングコースになっているようです。村のHPによれば、山頂からの眺めは絶景だそうですが、登ったことはありません。小学生は楽々登っていくそうです。家人が50代で登ったときは、結構急で大変だったそうです。今の私では無理でしょうね。 

今回、生まれて始めてみた草がありました。茎の先に赤と黄緑色の丸い実が固まって集まっています。鮮やかな赤ですが、ちょっと怖い感じがします。植物図鑑によると、浦島草か蝮草らしいです。図鑑では、花と葉と茎の写真がありますが、実(?)はありません。Webで検索すると、どうやら蝮草です。葉の模様が蝮に似ているそうです。球根に毒があるそうですが、その実も、言われてみれば毒々しいです。図鑑によるとユリ科の仲間という副題の本に入っていました。サトイモ科だそうです。

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浦島草か蝮草、恐らく蝮草だと思うのですが。葉がよくわからないのですが、この実の付き方は蝮草だと思います。

さて、私には珍しいことではないとはいえ、大変に残念で恥ずかしい思い違いを、昨夜、発見してしまいました。私が40年近く、黒松だと信じていた家の側の松は、何と、赤松だったのです。見れば、幹は茶色なのですから、赤松に決まっているのです。どこでどう勘違いしたのか、黒松と信じて疑わなかったのです。こうした間違いや誤解は言訳もできません。大変残念で悲しいことです。名前の呼び違えなどは日常茶飯事で、家族の名前さえ間違え、学生の名前を呼び違ったり(本当にごめんなさい!)、この手の失敗は枚挙に暇がありません。(勿論、威張れることではないどころか、そのたびに申し訳がなく、本当に困っているのです。)

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これが問題の赤松です。幹や枝の色を見れば一目瞭然ですのに。一番太いところは直径70㎝ありそうです。上に、上に、伸びています。

「年とったから・・・」ではなく、「いえいえ、あなたは小さいときからそうでしたよ」と言われますので、年のせいではないということでしょう。この年までそうして来てしまったのだから、あきらめるしかないかしらと、我身を慰めている次第です。