山の家

一昨日、20年以上ぶりに山の家にやってきました。ここ20年、仕事が忙しかったのです。どこの大学も似たような状態だったのでしょうが、入試体制が変わり、一年中入試関連の行事が入り、授業、試験、成績、論文指導等々は相変わらずで、それどころか授業数は増え、さらに委員会の数が増え、会議が増え、提出書類が増え、こうして仕事の量が増えていったのです。週日はそうしたことで一杯になるので、論文指導や研究会は土、日にになり、これはもう・・・という状態でしたので、停年になったときはほっとしました。 

というわけで、定年後の後始末をほぼ終えて、やっと日常生活に戻り、山の家ということになりました。以前と何も変わっていないように見えましたが、やはり時は過ぎていたのですね。家のそばに大きな黒松がありました。当初、その幹の直径は30㎝くらいだったのですが、今回見たら優に70㎝はありました。かつての幹の太さの枝が3本も、天に向かって大手をあげて、高く、高く、伸びているのでした。 

もう一つ、入口前の敷石は地面から80㎝位上にあり、地面の上に手頃な石を置いて、その上から敷石に登るのですが、なんと、かつては易々と登っていた敷石に片足をあげるのが苦労なのです。何かに掴まりたくなるのです。ここに梯子が欲しいなと思ったのです。自身では変わらないと思っていても、時は我身に老いを刻んでいたことを思い知らされました。 

山の家のある場所は標高1600mですから、空気はひんやりしていますが爽やかです。暖房は灯油のヒーターもありますが、主にストーブを使います。これは管理人さんが「もらって欲しい」と仰いますので、格安で譲っていただいたノルウェー製の鋳物のストーブです。管理人さんは常駐で「薪の世話が大変で・・・」だそうです。こちらは時々来るだけですから、薪はその辺の落木や枝でなんとかなります。今は、改築の時に出た家具などの廃材を運び、それを薪にしています。

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サンタさんでも入れそうな大きな煙突です。火を見ていると、遠い昔のことまであれこれ思い出します。じっと見つめていると心も落ちつきます。手前の張出しにお餅を乗せるとおいしく焼けます。そばの雑巾を片付けなかったのが悔やまれます。

その隣には山小屋にぴったりのランプがあります。40年以上も前、山に出かけた友達からのお土産です。芯が上手く出ないので、実際には使えませんが、これがあるといい雰囲気になります。

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本当は灯せないので残念なのですが、見るたびに心の中で火を灯し、贈ってくださった友を思います。

その夜は満月でしたので、夜、外に出てみました。ここは山林なので、開けたところに行かないと、お月様もお星様も見えません。最近は、鹿や猪が出ますので、気をつけなければなりません。当夜、道を少し下っていきましたら、高い木々の切目があり、スッと佇むお月様に会えました。高く遠い空の高みに、時々雲に覆われながら、雅に淡然と。郡山で眺めたお月様を思い出しました。 

40年以上も前に、マザーグースの小品を谷川俊太郎さんの訳詞、林光さんの作曲でレコードになったことがありました。その中の一つにお月様を歌ったものがありました。

 

   僕が月を見ると

   月も僕を見る。

   神様、月をお守りください。

   神様、僕をお守りください。

 

男の子が澄んだきれいな声で歌っていました。その後、時代が移り、レコードはCD化されましたが、このレコードはCDになりませんでした。今でも、あの歌をもう一度聞きたいなと思います。