Go to Travel、はたまたGo to Trouble?

Go toキャンペーンはその後またまた急転し、キャンセル料の補償をすることになったそうで、それがいい方策かどうかはおくとしても、今回のキャンペーンは、こちらの想像以上に泥縄、場当たりのようです。 

朝、家事の合間にテレビを見ておりましたら、司会者が、"Go to travel(トラベル)" を、故意にかどうかはわかりませんが、"Go to trouble(トラブル)" と発言し、お仲間の笑いを取っておりました。思わず笑いました。笑った理由は、司会者の言い間違いがあまりにも状況を的確に表していることに感心したばかりではなく、この言い間違いには懐かしい思い出があったからです。 

今から20年ほど前、チュービンゲン大学で開催された学会に出席した時のことです。大変楽しく有意義な学会で、しっかりした発表はもちろん、その質疑応答の内容、あり方にも深く学ぶことが多く、研究する姿勢を見極め、身の丈で学ぶことを改めて認識した学会でした。 

遥か遠い国から来た少数派ということもあり、ご常連の研究者が大変良くしてくださいました。その当時、研究者としてまだまだ雛の私が教え子を連れ、その教え子も初めての国際学会の発表をする予定でした。少し大きな雛が小さい雛を連れてきました、というわけで、学会の間中、頼りなさそうな私たちに温かく接してくださった主催者の皆さんの心遣いは、今も心に残り、心からありがたく感じます。私たちの発表テーマが興味を惹いたというより、か弱い二人組を応援してあげようという温情だったと思うのですが、司会者は高名な大学者で、セッションの部屋には学会長をはじめ、たくさんの方が聴きに来てくださり、質問も沢山してくださいました。 

この学会での経験は、研究者として、また教師としての在り方を深く考えるきっかけになりました。若い研究者、経験の少ない学生に、なんとまあ包容力のある接し方をするのだろうかと感動しました。また、これはどの発表にもですが、論及の足りないところにコメントをするときの、正確無比でありながら、意欲を削ぐのではなく、励ます言葉遣いや言い方は何といったらいいのか、まさに教育そのものと思いました。かつて師匠は「一流の学者は一流の教師です」とおっしゃっていましたが、その通りだと実感しました。一流の学者になるのはともかく、また、一流の教師にもなれなくとも、その志は忘れないようにしたいと思ったことでした。 

というわけで、いいことづくめの日々が終わり、いよいよ帰途に就くばかりになった時のことです。最後にキャンパスを歩きまわっていた時、一人のドイツ人女性に会いました。その年は異常気象で連日30度を超えました。ほとんどの建物に冷房設備はありませんでした。蒸し暑い日本の夏を知っている我々二人は、湿気がない分まだよいと、我慢ができないほどではありませんでした。が、多くの欧米人にとって、その夏は大変な暑さでした。そんな中でも彼女はいつも正装で、着衣が乱れることなどは絶えてありませんでした。汗すらかいた風もなく、涼しい顔をして、毅然と静かに落ち着いておいででした。さすが、鍛えられ方が違います。この方とは、顔を合わせるたびににこやかに短い言葉を交わしたものでした。大変きれいなヨーロッパ英語でした。さりげなく親切で、正真正銘、大変良い方と思っておりましたし、今もそう思います。 

ところがです。なぜかその方の前にまいりますと緊張してしまうのです。威嚇的なところなど微塵もない方ですのに。その時も同じでした。二言、三言、言葉を交わすほどにますます緊張の度合いが増し、最後まで会話が持ちこたえられたことに安堵し、お別れのご挨拶をしたのでしたが…。なんと、私は“Nice travel!”(良いお帰りの旅を!)というつもりでしたのに、恐ろしくも、“Nice trouble!”と言ってしまったのです。当の女性は涼しい顔で“Nicd travel!”と返し、歩み去って行きました。私は茫然とその後姿を見送るしかありませんでした。 

そのため、しばらく落ち込み、思い出すたびに落ち込みました。“Nice travel!”と聞きとって下さっていたらありがたいが…、英語がうまく言えないので間違ったのに違いないと思ってくださっただろうか…などなど。今朝の思いがけない、Go to travelとGo to troubleの言い間違いに、かつての私の言い間違いの一齣を思い出し、一人で赤くなったり、笑ったりしたことでした。思い出せば懐かしいことです。そろそろ、この失敗も笑ってお終いにしていいころかしらと思った次第でした。