修道士カドフェール・シリーズ           その1『修道士の頭巾』

買物や郵便局など近場を除けばほとんど出歩くことのないこの頃、楽しみは散歩、読書、落書きに等しいお絵かきなど。その中で何度も読んだはずなのに、読み出すととまらない面白い小説、「修道士カドフェール・シリーズ」をご紹介いたします。その中から今日は『修道士の頭巾』を。

エリス・ピーターズの本名はイーディス・パージター(1913年-1995)、イギリスの女性小説家でチェコ語の翻訳家としても有名です。本名で歴史小説を書いていますが、エリス・ピーターズ という筆名で「フェルス一家シリーズ」や「修道士カドフェル・シリーズ」などの推理小説を執筆しています。ちなみに1944年大英帝国勲章を受章しました。

修道士カドフェル・シリーズ」の第一巻『聖女の遺骨求む』は1977年に出版されました。『修道士の頭巾』は第三作目です。舞台は1138年、シュロップシャー州の州庁所在地シュルーズベリにある聖ペトロ聖パウロ修道院です。地理的位置としてはウェールズに隣接するイングランドです。1135年のヘンリー一世の死後、王位継承を巡って嫡子マティルダ(1102-1167)と強引に王位に就いた甥スティーブン(1096-1154、在位1135-1154)との間で戦いとなり、イングランドは大内乱となります。国を無政府状態に陥らせた王とマティルダのこの争いが小説の背景になっています。シュルーズベリはウェールズとの国境に近いため、ウェールズのオエイン・グウィネズ大公も虎視眈々と領土の拡張をねらっています。

カドフェルは、1080年ウェールズトレヴリュー生まれ、16歳で第1回十字軍に参加します。エルサレム陥落後は船員となりますが、40歳を過ぎてから行い澄まして修道士となったという異色の経歴の持主です。長年、東方で兵士や船員として生きてきた豊富な人生経験、薬草に関する知識を活かし、修道院では施療院と薬草園が仕事場です。病人の世話のほか自分で調合した薬で治療も行い、役目柄修道院の外にもたびたび出かけ、市民の人情の機微にも政治にも通じており、おまけに英語とウェールズ語の両方に堪能というわけで、推理小説の主人公としてはなかなか当を得た人物設定なのです。

おもな登場人物としては、主人公のカドフェルの他、シュルーズベリ執行副長官のヒュー・ベリンガーがいます。男らしく立派で有能な行政官で、カドフェールの力強い協力者です。副院長のロバートはいわばエリート修道士です。教皇使節公会議で出かけた前修道院長の委託で修道院長の役目を果たしていますが、前院長が会議から帰れば、代行ではなく本物の修道院長になるとを信じて疑いません。

三作目のタイトル『修道士の頭巾』というのは英語で‘monk’s hood’、根にアルカロイドという猛毒をもつトリカブトのことです。修道服の背中に垂れている頭巾の形に似ているので『修道士の頭巾』と呼ばれます。日本では附子とも言われ、狂言にもなっています。

時は1138年12月、町は戦争による混乱を脱し、やっと落ち着きかけてきたある日。院長が会議のため不在の間に、修道院に荘園を寄進する代わりに修道院の家作で余生を送るために荘園主ボナールが家作の一つに移ってきます。当時の大修道院の中には広大な農地を持ち、農産物やワインなどを生産し、かなりの収入を上げていたところもありました。カドフェル修道院も農地だけでなく、家作を貸し、宿泊人を収容し、病人を世話し、修道生活がよく言われるような「祈りと労働」だけでなく、学問の中心でもあり、様々な経済的活動を行っていたのでした。

修道院に多くの利益をもたらすボナールに副修道院長はご馳走のヤマウズラを提供するのですが、なんと、そこにトリカブトが仕込まれ殺害されてしまいました。容疑者として浮かび上がったのは14歳のエドウィンです。彼は後妻リチルディスの息子です。そのリチルディスは、実は40年以上前,十字軍に参加する前のカドフェルの恋人だったのです。カドフェルエドウィンの無実を晴らすことができるのでしょうか?真犯人は?その動機はいったい?

原作は1980年に出版されました。日本語版の初版は社会思想社教養文庫から1991年出版されましたが、2003年には光文社から出ております。翻訳者はどちらも岡本浜江さんです。原作の英語も味のあるよい英文ですが、日本語版も読み応えのあるいい翻訳です。カドフェルの人を見る目の鋭さとともに懐深い寛容さ、庶民に注がれる愛情の深さ、人としての生き方に敬意と共感を覚えます。
事件の推移と結末、ストーリーも面白いのですが、現代人、特に日本では一部を除くとあまり知られていないヨーロッパ中世社会の多面性、奥深さ、おおらかさを知るうえでも興味深いものがあります。

イギリスでは人気のあるシリーズだったようでカドフェルの薔薇まであります。ピンクのきれいな薔薇です。また1994年からテレビドラマ化され、なかなか人気があったようです。この作品もドラマ化されていました。

シリーズの舞台となったシュルーズベリにはカドフェル・クエストというテーマパークがありました。(今もあるかどうかはわかりませんが。)建物には様々な展示品やちょっとした体験ができる部屋がありました。庭には小説に登場する薬草がみな植えてありました。建物の一画にはティールームがあり、おいしいお茶と簡単な食事ができました。お土産にちょうどいい品々や絵葉書などが並び、ハーブの種を幾種類か求めてきました。日本では土地が合わなかったのか、私の世話が悪かったのか、芽を出したのはバジルだけでした。(たくさん収穫できました。)

カドフェル・クエストの建物と道を隔てたところに、現在も教会としての役割を果たしているカテドラルがあります。私がテーマパークを訪ねた日、カテドラルではオルガンの演奏会がありました。中に入ってチケットと求めますと「入場は無料です。志あらば寸志を…」というわけで、心に残る演奏を存分に聴かせていただいたのでした。

遠い思い出です。久しぶりに再読して、最初に読んだ時の興奮が蘇りました。カドフェルの言葉が、一つ一つ、ゆっくりと、胸のうちに落ちてくるようです。