松尾葦江先生のブログの「猫に関する疑問」を楽しく読み、猫と暮らしていた子供時代を思い出しました。 

物心ついたとき、我家には常時猫が、時には複数の猫がいました。母が無類の動物好きだったからです。猫だけでなく、犬もいました。猫の名前は「たま」、犬は(大きくても)「ちび」です。複数飼っていた時はどうだったのでしょう。「たま」という名前しか思い出せません。ほかにもカナリアは20羽以上いたこともありました。兎や山羊がいたこともありました。東天紅という鶏もいました。(朝の3時、4時から大きな声で時をつくるのでご近所に申し訳なく、さすがにほどなく在の人に飼ってもらうことになりました。) 

猫は一番多かった時には5匹いました。冬は掘炬燵の中にいました。当時は炭でしたので、一酸化中毒にならないよう一か所だけ布団を上に上げておきます。それでも時々ふらふらになって出てきますから、気をつけてやらなければなりません。夏はお風呂場の蓋の上で長々と伸びて寝ていました。潔癖症といってもいいくらいの綺麗好きな母でしたから、家の中に猫の毛が落ちていた覚えはないのですが、猫自身も綺麗好きで、絶えず身繕いをしていました。母猫は子猫の世話をよくしました。子猫はその個性で綺麗好きなのも無精なのもいましたが。50年以上も前のことで、ペットフードというものはなく、餌は人間の食事の残物です。ご飯の残り、おかずの残りに味噌汁をかけて、鰹節、だし鰯を混ぜてやると喜んで食べました。まさに、ネコマンマです。たまに刺身や海老の切れ端をやると、大喜びで、ふにゃふにゃと言いながら、がつがつと、いかにもおいしそうに食べました。 

今のように、犬猫がペットと呼ばれ、家の中で飼うという時代ではありませんでした。犬は庭、猫は屋内で飼いました。その猫も四六時中家の中にいるということはありませんでした。犬は首輪をつけて鎖につながれていますが、猫は自由気ままです。ご近所には、首輪のない猫もたくさんいたように思います。我家の猫は大体は家の中でごろごろしていますが、ふっとどこかに出かけていて、ご飯の頃には帰ってくるという感じでした。話に聞いたところでは、猫によってはあちこちの家で餌をもらい、複数の名前で呼ばれ、餌をもらえる家でつけてもらった名前に愛想よく甘えるという、世渡り(⁉)上手な猫もいたようです。 

私は動物を世話するほどマメではなく、気が向くと遊ぶという付き合い方でした。毛糸の玉、物差し、小枝の先、ハンカチ、草などを使って、猫が必死に飛びつくのをからかって、笑って遊んでいました。時々、引っ搔傷をつくりました。大人の猫より、子猫の方が痛いです。7、8歳の頃だったか、引っ掻かれないように爪の先を切ったところ、それが発覚して散々叱られました。爪がないと畳のところはともかく、板間は滑ってうまく歩けないのです。言われてみれば、本当に可哀そうなことをしたと、心から反省したのですが。その時、髭も切ってはいけないと教えられました。髭がないと幅が測れなくなるのだそうです。 

家の居間の一つの壁だけは猫のものでした。そこに猫の爪磨き用の板を腰板のように取り付け、猫は背伸びしてせっせ、せっせと爪を研ぎました。もうそこは無残にも爪の引っ掻き痕でいっぱいでした。そこ以外では爪を立てませんでしたから、猫と母との間に協定が結ばれていたのでしょう。母は家も磨きたてましたが、猫にもせっせと蚤取粉をかけたり、蚤取をしたりしていたので、蚤はほとんどいなかったようです。ですから安心して抱っこすることができました。冬は抱っこして寝ると暖かかったです。猫の方から布団に入ってくることもありました。そこで朝まで寝るということはなく、こちらがぐっすり眠ってしまうといつのまにかいなくなってしまいます。子供のころ、猫はいい友達でした。 

上京してから猫を飼うということはなくなりました。一度だけ、子供が小さかった頃、いつのまにか住みついた猫の母子がいました。母猫は「るり」と名前をつけました。子猫は「ピッチ」と呼びました。当時読んでやった「ピッチ」という子猫が主人公の絵本があったからです。ピッチは不器用で無精な可愛い子でした。母猫は潔癖で、賢くて、しっかり者の、凛とした強い女でした。母猫は綺麗好きでしたが、子猫は母猫に甘えてばかりいました。身繕いもみな母親任せでした。ある日のことです。激しい夕立がやってきた時、子猫が木槿の枝から降りられず、みゃぁ、みゃぁ、情けない声で鳴きました。母猫は、あっというまに、敢然と子猫のところに飛んでいき、子猫をお腹の下に匿い、自分はびしょぬれになりました。もちろん大急ぎで救出にいきました。濡れるのがあれほど嫌な母猫が、子猫のためにはずぶ濡れにもなるのだと感動しました。 

以前、『なんで英語を勉強するの』という本が出たことがありました。その中で、「勉強、勉強、英語、英語という前に、親はせめて猫並みに子供をちゃんと世話しなさい」という趣旨の一節がありました。ずぶ濡れの母猫と子猫をみて、猫並みに子供を育てるのも、結構大変だと思ったことでした。 

それ以降、家に猫はいません。小鳥を飼うようになったからです。今は鳥もいません。私自身が、いつのまにか、家の中で動物を飼うということが苦手になっていたのです。子供時代と共に、動物と暮らす日々は去ってしまったのでしょうか。母は、「年をとったら、たくさん動物を飼って一緒に暮らしたい、」と口癖のように言っていました。ところが60歳をすぎたら、世話がしきれないとか、自分より長生きしたらどうなるのだろうなどと思うと飼うに飼えない、とか言うようになりました。 

我家で飼った猫たちは、不思議なことに、その最期を看取った猫は覚えがありません。元気がないと心配して見ておりますと、いつのまにかいなくなっているのです。大人たちは「猫は人知れず秘密の場所で北向きに寝て一生を終える」と言っておりましたが、本当でしょうか。本当ならちょっと怖いです。いずれにしても、猫にはどこか不思議なところがあるように思います。最近のテレビで見る猫離れした猫は、本当に面白くてかわいいです。私の知っていた猫とはだいぶ違います。時代によって猫も変わっていくのでしょうか。