夏のアイロンかけ

 家事は、正直言って、不得意科目のベストスリーに入ります。子どもの時から動くのが嫌いで、面倒臭がり屋で、おまけに家族は四人姉妹の女家族です。両親は無理に私に家事をやらせようとは考えなかったようで、まあ、家事の手は足りていますし、何かあると父と私は邪魔にならないよう、好きに楽しく時間を過ごしていたというわけです。(今にして思えば、決して褒められたことではありませんが。)

 そんな調子でしたから、18歳で東京に出てきたときは本当に大変でした。郷里は小さい町で、表通りの端から端まで10分足らずで歩ける広さです。買物のために出る必要もなく、電話1本で何でも届いていました。(「ついでですから・・・」というわけです。)衣料品も、今のように出来合いのデザインやサイズや種類が多くあった時代ではなく、採寸をして作ってもらうのが普通でした。四人も娘がおりますと、同じ服地で同じデザインにすれば経済的でもあったのです。近くの洋品店には、洋裁部と和裁部の縫子さんたちがいました。服地の見本を自宅で選んでそのまま採寸すれば、仮縫いが一日あって、あとは出来上がりが届くという寸法です。すべてがこの調子でした。

 中学高校は宇都宮まで通いました。電話代と往復の交通費(当時、一区間は10円、片道70円でした)と、まさかの時のためにお財布には500円が入っていました。が、ほとんど使うことはありませんでした。町内の本屋さんや文房具屋さんでの買物、お医者様への支払いなどは、まとめて月末に親が払っていたようです。宇都宮で購入する画材用具は前もって別にお金を渡され、余ったらそっくり返していました。お稽古事の謝礼は、一部を除いて、私がお渡しした覚えがありませんので、きっと親が何とかしていたのでしょう。

 東京に来て、最初の一年目は女子寮ですから食事は良いとして、何よりも困ったのはお金の使い方でした。母は家の中にいて、銀行なども家まで来てくれるので、これまた商家の女将さんのわりに、この方面は世間知らずでした。私は入学した歳の四月に、あっという間にお金がなくなり、青くなりました。父の妹の叔母が恵比寿におり、恥ずかしくもありがたく助けていただきました。貯金通帳という物を渡されたのはこの後のことでした。「最初からこうすれば良かったのよねぇ、」と母と二人で笑ったものでした。以来、二人の妹は貯金通帳と一緒に上京してきたのでした。

 こんな調子ですから、何をするのも私は戸惑い、困りました。加えて、集団生活の基本が身についていないため、四六時中人中にいる日々は疲れ、一年ほどで寮を出て、下宿生活をはじめました。次の春には妹が同居することになっていましたが、それまでの数ヶ月が本当に、本当に大変でした。隣室には同じ年齢のバスケットをやっている女子大生が二人おりました。下の階の大家さん一家はお米屋さん。ご夫婦とお姉さん、兄弟二人の三人姉弟の家族でした。この大家さん一家と隣室の二人が性格の良い、明るく、飛びきり親切で、ユーモアのある人たちで、あらゆる場面で、ずいぶん助けていただきました。ご馳走になったり、遊んでいただいたりもしました。何しろ、食料品の買物、銭湯屋さんでのお風呂体験、電気釜(私が上京するまで我家は竈でご飯を炊いていました)、ガステーブル使い方、何もかも、ここがスタートでした。シャキシャキ働き、かつはっきり物を言う日本橋生まれの小母さんは数年前に亡くなられましたが、それを機にかつての下宿生と大家さん一家が再会し、下宿50年目の同窓会をしました。

 あれから半世紀経って、なんとか家事はこなしますが、お世辞にも上手くなったとは言えません。50年前、家事も生活そのものを楽しむ術もベテランの家人に、「あまりの不器用さに気の毒になる」と言われた私ですから、たいして進歩はしませんでした。何といっても、何でも器用にこなす人が傍にいますと、なかなか上達はしないものです。生来の横着者ですし。

 ただ、洗濯物の乾し方とアイロンかけは、ちょっとだけ上手になりました。最低、木綿と麻だけは、是非ともすっきりアイロンのかかった状態で手を通したい。アイロンも、かつてはかければかけるほど皺が増え、惨めなことこの上もありませんでした。家人の母上は器用でもあったのかも知れませんが、印象としては、家事だけでなく何事も丁寧に、丁寧にする方でした。植物の世話もまさにそれで、いただいたり買ったりして育てることになる植木など、「特に草花が好きというわけではない」と言いながらも、毎年、見事に花を咲かせました。「草木や花が好きで・・・」と言う人が枯らしてしまったりするのですが。特に、アイロンは頗る付きに上手でした。紳士物のワイシャツの仕上がりはクリーニング屋さん顔負けです。

 こんな風にアイロンをかけられたらなぁ、などと思いながら、数十年、やっとこの頃、あ、これなら人前に着ていけるかな、と思うくらいには上達したようです。風通しの良いところにアイロン台を広げっぱなしにしておいて、いつでもアイロンがかけられる状態ですと、さほど億劫にならずにアイロンをかけられます。ハンカチ、ブラウス、シャツ、ナプキン・・・。友人のアメリカ人はジーンズや下着もアイロンをかけていました。確かに殺菌にはなりますね。

 この夏も、パリッとしたアイロンのかかったブラウスを着て歩くことができそうです。可能なら、マスクなしで、颯爽と歩きたいものですが、これはもう少し先のことになるでしょうか。