軍記物語講座 第四巻 乱世を語り継ぐ

『軍記物語講座  第四巻  乱世を語り継ぐ』(花鳥社)をいただきました。カバーの、特に夏富士が好きになりました。雄壮で軍記物語によくあっています。白の地も潔く美しい。タイトルを黒地の白抜というのもキリッとしています。表紙と背表紙、見開きと扉、花布の色合わせの品がよく美しい。本文の紙も活字もきれいです。なんと格調高い美しい品のよい本だろうと思いました。装丁の美しい本は嬉しいです。(装丁だけで買った本は数知れず、です。)中味がよければという意見も正しいとは思いますが、やはり、本も(人も)、装丁は大事だと思います。 

まずは、目次、執筆者紹介、「軍記物語年表(二)」、そして「あとがき」を読みました。基礎知識のない私に「年表」や「地図」はありがたいです。「あとがき」は、凜とした文章で、最後の「読み了えて私が思ったことは・・・文学は事件だけでは成立しない、それは八百年前も今もだ、ということだった。」の件に圧倒されました。そうですね、そうですね、と心から思いました。内容について素人の私の言えることではありませんが、概ねわかりやすく、読みやすく書かれており、レベルの高い内容にもかかわらず理解しやすく、これはたくさんの方に読んでいただきたい本だと思いました。

目次に目を通し、高橋美恵子さんの「家伝史料『結城軍記』諸本の相関関係」が目に留まりました。かつて義父の残した家伝書を読み、義父への供養で拙論を書いたことがあったからです。(拙の字をたくさん重ねたい!) 

義父は仙台出身で、7、8人姉妹のなかのたった一人の男の子で、10歳くらいの時に父親が亡くなり、それからは戸主としての責任を果たしてきたそうです。膜炎のあとがあり、二高に入れてもらえなかったので次の年一高に入り、その時以来、仙台を離れ、母親と東京の屋敷で暮らしていたそうです。身体が弱いので研究医になり、戦前は伝染病研究所に勤務していたそうです。結婚するとき、爆弾で壊れた家を修理してそこに住む予定でしたが、渡した費用を持ち逃げされ、義母の家でその両親と一緒に暮らすことになったそうです。戦後は予防衛生研究所でウィルスの研究をしていました。(私が知っている義父はこのころからです。)もうすぐ停年というときに急性白血病になり、床について2ヶ月で世を去りました。40年も前のことです。 

亡くなるしばらく前から、多ヶ谷の縁の人たちに、次々に会いに行き、家伝をまとめていたようです。一高に入るために上京して以来、仙台に帰ることもなく、生家は戦後の不在地主で没収され、(今は公園になっていると聞きました)血縁者はいましたが、帰る家を失った郷里になってしまいました。停年を控え、人生を振り返ってみたかったのかもしれません。家というか、家族というか、育った地への郷愁があったのかもしれません。義父は家族に何も言わず、一人でそうしたことをしてきたようです。残された者たちは何も知らず、死後、義父の残したものを見て、胸打たれました。家伝の方は未完であると思います。義父のそうした気持ちに何も気がつかず、仙台のお雑煮も懐かしがっていたのに一度も作らず、申し訳なかったと思いました。 

遠い先祖は保元物語にも登場する金子十郎家忠だそうですが、戦国の頃は下妻城の殿様だったそうです。関ヶ原の時に、血筋のあるものは徳川につき、あるものは豊臣につきましたが、下妻は豊臣につき敗れました。女達はその時下妻で亡くなりましたが、弔いもできなかったそうで、土地の人たちが弔ってくれたと聞きました。徳川の時代になったその後、江戸あたりで伊達政宗に召し抱えられたそうです。それ以降、どこかの段階で多賀谷は多ヶ谷になったとのことです。今でも下妻では4月のはじめに多賀谷城祭りをいうのをしています。既に城はなく城趾公園になっておりますが。当時の鉄砲隊の様子を模擬で見せてくれます。なかなか楽しげなお祭りです。当地には多賀谷のまま通した子孫がいるようで、数年前に出かけたとき28代目と聞きました。多ヶ谷のほうは伊達藩に召し抱えられて以来12代目です。 

義父の残した史料などを見たときその思いが切なく、何とか形にしておきたいと思い、少しずつ私なりに調べ始めました。素人できちんとした研究法も知らず、人に聞いたり、書物を読んだり。那須那須与一伝承館で、解説付きの「結城合戦」に関する資料展示会に出かけて行ったこともありました。心に残ったのは手紙の展示で、密書を届けるときの折り方、封の仕方でした。和紙のしなやかさや強靭さが小さく折りたたみ、密かに持ち運ぶのに何と都合のよいことか。忍者とか隠密とか密使という言葉が現実味を持って耳に響きました。そして蛮勇をふるってできたのが拙論でした。素人のブルドーザならぬ耕運機でバリバリと・・・というお恥ずかしいものです。 

家伝書というものは、それぞれの都合や立場で記されるのでしょうから、同じ出来事に幾通りもの解釈や言い分が出てきます。歴史家が史料を読むようにではなく、文学的視点から、どのように読めるかという読み方をしますと大変面白いものです。同じ出来事を記した家伝書を並べて読むと、事実がわかるというより、それぞれの立場はどうか、ということが見えてくることがあります。ブラウニングや芥川龍之介の藪の中のように、事実はますますわからなくなります。事実は一つと考えると疲弊しますが、10人いれば10の言い分、10の正義があると思って読めば、その謎解きをする面白さがあります。軍記物は戦いですから、当事者たちは生死をかけているわけで、それを「面白い」などとは怪しからぬとは思いますが。やはり、平和でないと安心して軍記物も読めないなと思う次第です。