3月以来“Stay Home”というわけで、だんだん今日が何日で何曜日かわからなくなってきました。日記をつける習慣もなく(というより続いたためしがなく)、毎日が日曜日とはこんな感じなのだろうか、という気がしてきました。何しろ4歳で幼稚園に入って以来、夏休みなどを除いて、この3月まで毎日家にいるということがありませんでしたから。朝起きて、時がたって夕方になり、やがて夜が来て一日が終わる。なるほどこれは贅沢なことだと、これも悪くないと、思いました。が、めりはりがないのは落ち着かないもので、日捲り暦を捲るのは忘れないようになりました。

長いこと居間に掛ける暦は月捲りのものでした。だいぶ前から日捲りが懐かしくなり、日捲り暦にしてみました。旧暦の日付、干支や諺があって面白いのです。最初の日捲りは数年続きましたが、諺が日本古来のものだけではなく西洋のものも多く混じっているのでやめました。次に、日付は小さな字で、月の満欠が描かれているものにしてみました。これはクリスマスのプレゼントで、楽しく捲りました。月の満欠の様子だけでなく、月の中の兎さんがお餅を搗いているらしい影が楽しませてくれました。今年は昔ながらの日捲りに戻りました。日本古来らしい諺のものを見つけたからです。

昨日の情報は、2020年(令和2年、平成32年、昭和95年)、4月(卯月)、20日(旧3月28日)、大津大見神宮例祭、切手趣味週刊、郵政記念日、天一天上、みずのとみ、六白・赤口中潮、諺は「急ぎの文は静かに書け」。わからないのは、「危」の傍らに「二十八番」とある意味です。これはなんだろう、と思いつつ、調べないまま日が過ぎています。毎朝、捲った今日の情報を眺め、なんとなく納得しています。

暦については全くの門外漢ですが、かつて必要上調べたことがあります。暦の歴史は古く、紀元前4200年頃には1年が365日であることはわかっていたこと、昔はエジプトを除くと多くの国が太陰暦だったこと、バビロニアでは紀元前2500年頃には太陰太陽暦法が知られていたこと、農業には太陽暦が漁業には太陰暦が必要なこと等々、吃驚することが多く、興味惹かれました。エジプトでは農業に必須のナイル川の氾濫がいつ起こるかを知るために太陽暦が発達したそうです。記憶が正確ではありませんが、「クレオパトラの鼻が1センチ低かったら世界の歴史は変わったことだろう、という言葉は有名だが、むしろ、もしシーザーがクレオパトラに出会わなかったら暦の歴史は変わったことだろう」、という一節に出会ったことがありました。この一節を誰が言ったのか思い出せないのですが。ちなみに、ユリウス暦はシーザーがクレオパトラに出会ってできた暦なのだそうです。それまではヌマの太陰暦でした。ユリウス暦グレゴリオ暦ができるまで長らく使用されていた暦です。

物事の最中にある時はわからないことですが、あとで、あれが契機になってすべてが変わったった、と知ることがあります。ユリウス暦ができたとき、グレゴリオ暦に変わった時はそれにあたるかもしれません。松尾葦江先生のブログで引用された「元へは戻れない」という言葉は、大変重い言葉と受けとめました。何かが起こった時は、これもよく言われることですが、意識を変える必要があると思います。もしかすると、今がその時なのかもしれません。COVID19のために学校などが休校になりWebで授業をするといった取り組みが始まり、会社ではテレワークが進み…といったことを聞いていますと、この厄災が収束した時、社会は大きく変わっているかもしれません。社会だけでなく、それにつれて人の精神性、心性も変わっていくのかもしれません。

こうした変化に順応し、それに応じて意識を変えていくのは、時に難しいことですが、これからの日々がなんとか自分らしいものであるように、心を前向きに、状況を見定めていきたいものです。こちらの意志で変えられることと変えられないこともあるでしょう。何が変えられるのか、何が変えられないのか、また個人のレベルで何が変えられるのか、何を変えてはいけないのか、日々、暦を捲り、一日一日を確かに刻みながら、よく考えてみようと思います。目下、時間はいっぱいありますから。