マスク

最近は、COVID19のせいで、マスクをしていない人を見かけることが少なくなりました。これまでも日本人は欧米人に比べ、マスクをかける人が多いとは言われていましたが。花粉症になる人が増えるにつれマスクが目立つようになったのは何年前のことだったかしら。この節、マスク不足が逼迫して以来、様々な色や素材や形のマスクも現れるようになりました。黒いマスクを初めて見たときは吃驚しましたが、花柄や動物や様々な模様、色、悪くないなぁと思って眺めました。

たくさんのマスクを見ているうちに子供の頃のことを思い出しました。50年、60年も前のことです。60年前に不織布のマスクはありませんでした。ガーゼのマスクでした。風邪を引いて喉が痛いときにはマスクをしました。マスクをすると口のまわりが鬱陶しく息苦しいですし、気管支が痛いときには呼吸が楽になりますが、眼鏡が曇りますので、あまり好きではありませんでした。今も、しないで済むならマスクはしたくありません。 

当時のマスクから連想したことがあります。マスクでは追いつかないほど口や鼻を防護するために、日本手拭いを使用したことがありました。たとえば、暮れの大掃除の一環の畳叩きや、折々の煙突掃除などです。今は、一般家庭、特にマンションでは和室も少なくなり、畳といっても藁の畳床ではなくなりました。庭で畳替の仕事をするといった習慣もなくなったようです。当時は庭先で陽に当てながら畳を叩いたので、埃がいっぱいたちました。皆、鼻と口を手拭いで覆い、パンパンと勢い良く叩きました。あちこちの家から畳を叩く音がして、非日常の楽しさを味わいました。仕事が済んで再び部屋に戻された畳は、まずは固く絞った雑巾で拭き、それから乾拭きをしました。畳に寝転ぶとお日様の匂いがしました。

煙突掃除も、これまた古い話です。当時、多くの家では薪を焚いて風呂を沸かしました。煙突は竈から風呂桶を通って屋根の上に顔を出します。風呂を焚く仕事は子供の役割という家も多かったと思います。新聞紙や反古紙を火種にして細い木を燃やし、薪に火を移すのですが、慣れるまではちょっと苦労があります。下手すると煙ばかりが出てちっとも燃えてくれないのです。煙くて目から涙が出ました。火吹きもという道具もありましたが、上手に風を送るためには工夫がいります。うまくいけば、火を見ていると飽きませんし、冬は暖かいし、本も読めました。

その結果、煙突掃除が必要になるのですが、煤払いの仕事は、仕事そのものもですが、その前の支度に手間がかかります。先にブラシの付いた長い金属のロープで掃除をしますが、まずは、鼻と口を手拭いで覆い、もう一枚の手拭いで頭と頬を覆い、首の周りもしっかりガードし、さらに鍔のついた帽子か麦藁帽子を被ります。そして雨合羽とゴム長靴です。当時の完全武装です。この出立ちで煙突の下から筒を擦りあげるのです。子供は面白そうなので近づきますが、「向こうに行きなさい」と叱られます。確かに、煤が口や鼻に入ると、簡単な嗽ぐらいではすぐには元に戻りません。昔は家を維持するためにたくさん仕事があったのですね。

煙突掃除といえば、少年煤払いのことを書いた、イングランドの随筆家チャールズ・ラム(1775-1834)の小文があります。当時は、霧のロンドンと言えば聞こえがよいのですが、実は石炭によるスモッグのため一寸先も見えない大気汚染きわまる時期でした。その頃のことです。10歳そこそこの少年が朝早く「チープ!チープ!」と声をあげながら歩いていきます。大人より子供の方が身体も小さく、暖炉の煙突掃除には子供の方が都合がよかったのです。そこで主に貧しい少年たちが煙突にもぐって掃除をしていたのです。時には、煤だらけの煙突の中で火傷をしたり、滑って下まで落ちて大怪我をしたり、子供たちにはなかなか辛い仕事でした。生きるためにとはいえ、それでも元気に、健気に、仕事に出かけていく姿に、「こんな少年を見たら彼らの好きな飲物を振る舞ってあげてください」と、愛情をよせながら書いた名文です。

近頃、夜明けに、頓に声が大きくなってきた小鳥の声を聞くと、ラムのこの小品を思い出します。「チープ、チープ」というのは朝早く囀る小鳥の鳴き声ですが、「スウィープ、スウィープ」、つまり、「ソージィー、ソージィー(掃除しますよー、ご用はありませんかー)」に重ねているのです。

昨今のCOVID19感染のニュースによれば先行きは不透明な感じです。全国のあちこちから様々の理由の心底からの悲鳴が聞こえてきます。こうした状況下で必死に頑張っている、あるいは頑張らざるを得ない人たちのことを思えば、暗くなっている場合ではありませんね。そう思って目を上げたら、TVのなかでたくさんの工夫いっぱいのマスクしている人たちの姿がありました。日々の暮らしの中で、ささやかな努力を積み重ねながら頑張っている姿を見つけたと思いました。色とりどりのマスクにちょっと励まされ、今日も楽しい心で暮らしたいなと思いました。