盆のあとさき その2

先のブログで地獄の釜の蓋が開いてご先祖の霊が・・・と書きました。書きながら、この世を去った人たちは、地獄だけではなく極楽にも行くのに、お盆の時にはなぜ地獄の釜の蓋を開けてもらってこの世に戻ってくるのかしら、と訝しく思いました。もっとも、この世を離れると、地獄の閻魔様に生前の行いを調べられて、極楽に行くか地獄に行くかを決められると言いますから、あの世とこの世の境目は閻魔様の支配下にあるのかもしれません。キリスト教世界では、生前の善悪が大天使ミカエルの秤で量られるそうです。その結果で、天国に行くか地獄に行くかはたまた煉獄に行くかを決められるそうで、中世の写本などの絵にはそうした図をよく見ます。 

地獄の釜の蓋は、そうしてみますと、この世とあの世を隔てる境といって良いのかもしれません。この世とあの世の境と聞いて思い浮かぶのは、伊弉諾が逃げおおせた黄泉平坂です。思いがけない妻の死に打ちのめされた伊弉冉が妻を迎えに行き、妻からお許しをいただく間「見ないでください」と堅くお願いされたのに、ついつい見てしまったために、連れ帰るどころか怒りを招いて追いかけられ、辛くも助かったという話です。この話は、ギリシア神話オルフェウスの話を連想させます。妻を死者の国へと連れ去られたオルフェウスは、音楽の才で妻を連れ帰ることを許されるのですが、地上にいたるまでは「決して振り返って見てはいけない」と言われていたのに、後少しというところで、つい振り返ってしまい、結局、妻を取り戻すことは叶わなかったという話です。神話は現実離れしたお話に見えて、実は、過酷なほどの現実です。その代わり、ファンタジーはこの世の不可能を可能にしますから、オルフェウスが妻を無事連れ帰ったという話は中世のファンタジー、ロマンスで語られます。 

ギリシア神話と黄泉平坂の話では、あの世は死者の世界、この世は生者の世界と受けとめられていたようで、これは古代世界では一般的だったようです。死後の世界に善き人と悪しき人のいる場所に区別ができたのは、旧約世界ではイザヤの頃(第1イザヤ書は前8世紀頃、第2イザヤ書は前6世紀頃)からだったと聞いたことがあります。その頃に、極悪非道な行いをした者も善人も、死後まで同じところで過ごすのは嫌だ、という思想が生まれたのではないかと聞いたことがあります。 

地獄の釜の蓋が、悠久の彼方の世界からあった、死者と生者の世界の境目なら、死者が生者を訪ねるというのも、一度閉ざされたあの世とこの世の境目が外れることもある、あってほしい、という希求であったのかもしれません。それがお盆にはご先祖様が戻ってくるということなのかもしれません。 

中世のイギリスのバラッド(民謡と訳されていますが)には、亡くなった息子が嘆く母親の元に戻ってくるという内容のものがあります。あの世から戻ってきた息子は一晩を母親と一緒に過ごすと、夜明け一番に鶏が鬨をつくる前にあの世に戻らなければなりません。あの世とこの世を繋ぐのは、天国の門のそばの山毛欅の小枝に掛けた帽子です。あの世とこの世を結ぶ依代が山毛欅の木というのも、日本の年神様の門松に似て不思議です。 

もう一つ興味深いのは、バラッドであの世からこの世に戻ってくるのが、11月11日という日付であることです。この日は聖マルティヌスの日と呼ばれます。(奇しくも、マルティン・ルターは11月10日に生まれたので、マルティンと名付けられたそうです。)この日は、暦では収穫祭、冬の始まりの日でもあるそうです。農民にとっては一年の締めくくり、雇用契約の更新や地代の支払いの日でもあるそうです。この日にはケルトの年末年始の祝われる行事に類似する行事も行われていたようです。 

暦から言えば、聖マルティヌスの日はキリスト教世界と古いケルト世界のもう一つの邂逅を思わせます。ケルト世界の一年の終わりは10月31日、年初は11月1日です。暦の歴史から言えば、ケルトの世界の年初である11月1日はユリウス暦です。ユリウス暦は紀元前45年にユリウス・カエサルによって制定されましたが、長い年月の間に狂いが生じ、1582年にグレゴリオ暦になりました。ユリウス暦グレゴリオ歴では10日ずれます。この日にあの世からこの世に死者が戻ってくるという点に注目しますと、11月1日のケルトの年初が10日ずれて聖マルティヌスの11月11日にずれた、と考えることも可能ではあるのですが・・・。ただ、グレゴリオ暦の成立が1582年ですから、聖マルティヌス祭の始まりがそこまで遅いものかどうか、疑わしくもあります。その辺は一度調べてみたいと思います。 

ともかくも、日本の盆にも似た西洋の慣習は、亡き人を思う人の心はいずこも同じ、ということなのかもしれません。今日は送り盆です。コロナ騒ぎで、お墓参りもままなりませんが、長い旅路の末にこの世に戻ってきたご先祖様たちが、ご無事に帰り道を辿っていけますようにと思います。鬼灯をお供えご先祖様達に飾るのは、地獄から戻ってくるご先祖様が道に迷わないためと言われます。では帰っていくときには道に迷わないのでしょうか。茄子や胡瓜のお馬に乗って行くので、迷わずに帰ることができるのでしょうか。帰りにも鬼灯提灯を差し上げたいとも思いつつ、長い旅路の無事を念じたことでした。