宇江佐真理さんのこと

昨夜TVを見ていたら、時代劇チャンネルで、宇江佐真理作「髪結い伊三次」の放映案内をしていました。私は宇江佐真理さんの最初の作品『幻の声』以来のファンで、熱心な読者の一人です。作品全体に通じることですが、人を見る眼差しが鋭くも温かく、加えて言葉や言い回しが見事で、繰り返して読みたくなる作家の一人です。

2010年に講談社から出た『通りゃんせ』がご縁でお手紙を差し上げました。『通りゃんせ』の舞台となった八名川町が本所か深川かということで、出版社から誤りを指摘されたが納得いかない、という趣旨のエッセイを読んだことが切掛けでした。宇江佐さんご自身の根拠は「作家の勘」と記しておりますので、私はファンの勘にかけて作家の勘を信じて調べてみようと思ったのです。

出版社が明治期の資料に従って「本所ではなく深川」と判断しておりましたので、舞台の時代に近い資料に当たってみようと思い、安永以降の『武鑑』などを調べてみました。この地域は時代によってどちらともいえない複雑な状況ではあるのですが、ともかくも、作品の時代となる天明期には「本所やな川丁」「本所柳川丁」という表示があり、宇江佐さんの「本所八名川町」は、時代考証的に正しいということを知りましたので、資料をそろえて宇江佐さんにお手紙を差し上げたのです。

それは大層喜んでくださって、以来、折々にお手紙のやりとりをする間柄になりました。お忙しいことでしょうに、いつも手書きのお返事をくださいました。そうしたやりとりの中で、宇江佐さんが函館で生まれ育ち、ほとんどその地を離れたことがないこと、高校球児だった息子さんたちをしっかり育て上げられたこと、作家生活に入ったのはその後のことだったことなどを知りました。作家になってもしっかり者の主婦で、存在感のある方でした。飾り気のない暖かいお人柄でそれが作品の空気をつくっているのだと納得しました。

2015年6月、酒田で学会がありました。時を同じくして鶴岡で宇江佐さんの講演があることを知りました。演題は、これまた何度読んでも飽きることのない藤沢周平氏についてだというので、これはどうしても行かねばならないと思いました。前日によかったらお会いしましょうとお声をかけていただきましたので、大喜びで前日から出かけていき、お目にかかることができました。

ホテルの最上階のラウンジでカクテルをいただきながらとりとめない話をしました。函館から電車とバスで6時間もかけていらしたそうです。その時すでに癌が進行しているということでしたので心配しておりましたが、顔色もよくお元気でした。こんどは函館にいらしてくださいね、というお招きに喜び、幸せな心持ちで、再会を楽しみにしつつお別れしました。次の日の講演も心に残りました。同じ作家のファン同士ということもあり、肯きながら耳を傾けました。

「髪結い伊佐治」のシリーズは完結させたい、と仰っておられましたが、生死にさほどの執着はなさそうにも思えました。遠からずお訪ねしたいと思っておりましたが、11月に訃報が届きました。言葉が出ないまま日々が過ぎました。暫くしてから気を取り直して、最初の作品から一冊ずつ読み直しました。「藤沢周平の作品が死後も何度も再版されているのはすばらしい」と仰ってましたが、今も折々に本屋を覗きますと、宇江佐さんの本もちゃんと並んでいます。再版されているものもあります。

今も時々読み返します。宇江佐さん、これが私の供養と思ってくださいね、と思いつつ。今日も本屋さんで、宇江佐さんの本があるのを見てきましたよ。今夜は宇江佐さんを思いながらご酒をいただきましょう。宇江佐さんもあちらの世界でどうぞ。乾杯!