夜半の月

しばらく前の夜のことです。ふっと目が覚めました。窓の外には白い少し茫とした光が棕櫚の隣に浮かんでいます。夜更け過ぎのこの時間に東の空に、と訝しく思いました。けれどもそこに浮かんだ白い光は、どう見てもお月様です。時計を見ると一時。こんな時間に月が東に、と思った瞬間、ああ、これが寝待ち月とか更待月とかいうものかもしれないと思いあたり、嬉しくなり、しばらくお月様に付き合ってしまいました。半月を少し過ぎた形です。もしかして下弦の月とか下の弓張月と呼ばれる月に近づいているのかもしれません。弦は下を向いておらず、真直ぐ立っています。まだ空に昇って時間が経っていないのでしょう。 

しばらく見ているうちに、月の様相が少しずつ変わっていくのに気がつきました。初めは輪郭も朧でしたが、時が経つにつれて高く登っていき、高く登るにつれて光も強くなり、輪郭もくっきりと、月と夜空との境目を切り分け、銀色から金色に色を変え、最後は紺青の空に黄金色を皓々と耀かせたのでした。月はさらに高く登って窓から姿が消えました。そのとき時計は三時でした。暫しの、真夜中の、一時の天体ショーでした。

f:id:kittozutto:20200924090810j:plain

1時、2時、3時に見えた月です。色がどんどん黄味をおびて濃くなって、形もくっきりとしていきます。形がくっきりとした様子が上手く描けないのが残念です。

お月様はどんな形で見ても、いつまで見ていても飽きることはありません。夕方、帰りがけにお月様がどこかにいれば必ず見上げます。月の姿は日一日、刻一刻違います。色も白、白銀から金色、時には赤みがかった橙色まで様々です。太古の昔からこんな風に多様な色や姿の月を見せながら月は空に浮かんでいたのだろうか、マンモスや猪を追いかけていた往時の人たちは、どんな風に月を眺めていたのだろうか、などと想像しながら、折々の月を眺めながら帰り道を急ぎます。 

忘れられないのは、郡山で見たスーパームーンです。在職中は、毎年9月の初めに一週間ほどゼミ合宿をしていたものでした。いつもは伊豆高原の定宿に行くのですが、その年は日程の調整が上手くいかず、郡山に行きました。学部の三、四年生と大学院生、ゼミOB、総勢10-20人が各部屋に分かれてのお勉強合宿です。初めての旅館は検索で探したのですが、大きな池の畔にあり、池の周囲は散歩道になっていて、なかなか景色の良いところにありました。四年生はこの合宿で卒業論文の章立てと概要を仕上げ、大学院生は論文の構想を練ることになっています。OBは作品を読んだり、学生達のアドバイスをしたり。宿の方は、「運動部の合宿は慣れていますが勉強の合宿は初めてですよ」と言いつつ、大変親切にそして本当に良くしてくださいました。食事も家庭料理中心でおいしくいただきました。温泉のお風呂はゆったりとお湯も豊富で、一日の終わりに疲れがとれ、身も心も温まりました。 

楽しみの一つは食後の休憩時間です。伊豆高原の民宿では、一番近いコンビニに行くのに歩いて30分はかかります。目の前の赤沢海岸の周辺を散歩する以外に気晴らしはありません。歩いて10分ほどの所に温泉ホテルのレストランがあるのを、合宿最後の2、3年前に見つけましたが。お宿の三度の食事は取れたての魚と手作りの野菜が中心で、大変おいしく楽しかったです。時々、お手製のお饅頭やジュース、暑い日にはアイスクリームなどをお八つに差しいれてくださり、皆で大喜びし、ご親切に感謝していただきました。 

郡山の旅館は街中にあり、近所には洒落たレストラン、喫茶店、素敵なお店も多くありました。なんと、私の中高時代の同級生がフラワーアートのお店を開いており、50年ぶりの再会も果たせました。合宿の間中、休憩時間は学生達には楽しみの時間でした。お店に繰り出したり、喫茶店に行ったり。目の前の大きな池の周りをゆっくり回ると、小一時間はすぐにたってしまいます。ここでは人が行き違うとき自然に挨拶を交わします。こうしたことができる地は良いな、と嬉しく思いました。旅館の女将さんはしっかり者の働き者、手早く、良く気がつく方でした。ご主人は言葉数少なく穏やかで親切な方でした。バードウオッチングが趣味だそうで、街中では見ることのできない小鳥のすばらしい写真が、食堂の壁際に数多く飾られておりました。ご主人のお姉様は書家だそうで、階段の踊場、部屋や廊下の壁などに見事な書が掛けられておりました。読みをお尋ねしましたら、お姉様がいらっしゃって教えてくださいました。 

ある夜のことです。今日はスーパームーンだというので、夕食後、私たちは池の散歩道まで出ていってお月見をすることになりました。灰色の雲が流れていましたが、空全体を覆ってしまうことはなく、雲間には金色の月が見えました。空全体は概ね暗いのですが、月が浮かんでいる辺りは輝いて見えました。浮かんでいる月は皓々と、美しく、神々しく、息をのむ思いでした。学生達はきれいな大きなお月様に喜び、歓声をあげたものでした。 

そんなふうに燥いでおりましたら、ご主人がスワロフスキーの双眼鏡を持ってきて、「よく見えますよ」と貸してくださいました。野鳥の観察用だそうです。その双眼鏡を通して月を見たときの、その幸せな驚きは今も鮮やかです。肉眼で見る空の月は、大抵は平面的に見えます。ところが双眼鏡を通して見ますと、何と、月が球体であるということが、輪郭の付近の丸みの色合いで、信じられないくらいはっきりと分かるのです。時々月は雲の陰に隠れます。ところが双眼鏡で雲に隠れた月を見ますと、表面を覆っている雲が薄墨色のフィルターのように透けて、雲の向こうのお月様はやはり皓々と耀いているのです。何と美しい、輝かしいお月様だろうかと、その時のその姿はしっかり心に刻まれました。  

f:id:kittozutto:20200924093631j:plain

郡山のお月様です。双眼鏡で見たときのような球体が上手く描けません。

スワロフスキーの装飾品や置物は知っていましたが、双眼鏡も作っていたのですね。後で、スワロフスキーの光学機器、双眼鏡や望遠鏡は知る人ぞ知る高級品だということを知りました。当時、東北の大震災の傷跡は今なお深く、特に福島県は原子炉の事故のために更なる大打撃を受け、郡山はそれほどではない、大丈夫とはいいながら、多くの苦労苦難がありました。宿のご主人の息子さん家族も生まれたばかりの乳児がいるので他県に避難しているとのことでした。ご夫婦は孫に会えないと寂しそうでした。大切にしている大事な双眼鏡を気持ち良く貸してくださり、私たちを喜ばせてくださった心が嬉しく有難く、美しいお月様の姿と一緒に思い出されます。 

綺麗なお月様を見ると、宿のご主人も郡山で、あの双眼鏡でご覧になっているかもしれないと、懐かしく思い出します。あの人柄のよいご夫婦が今もお元気でいらっしゃいますように。お二人のお宿が今も繁盛しておりますように。ご主人があのスワロフスキーの双眼鏡で野鳥の観察を楽しんでおられますように。美しいお月様を見るたびに郡山のお月様を思い出します。