冬来たりなば、春来たれども…

「冬来たりなば春遠からじ」というのは、私の世代ですと受験雑誌やラジオ講座でお馴染みです。子供のころ、勉強のことではなく、日常生活のことで、母が口癖のようにそう言っておりましたので、これは日本か中国の諺かと思っておりました。大学1年生の英詩講読の授業で、これは19世紀イギリスロマン派詩人、パーシィ・ビッシュシェリー(Percy Bysshe Shelley:1792-1822)の作品と知って吃驚してしまいました。大正生まれの母ですら知っていたということは、あの一節は誰もが知っていたのですね。

当時、今は我慢をして頑張れば春が来て明るい未来がある、という文脈で語られていたような気がします。原詩の真意はそれとは異なっておりました。原題は ‘Ode to the West Wind’(西風の賦)です。最初の一連だけ、(拙い私訳で)引用してみます。

   O wild West Wind, thou breath of Autumn's being, 
     Thou, from whose unseen presence the leaves dead、
   Are driven, like ghosts from an enchanter fleeing, 

   おお荒ぶる西風よ、秋の息吹よ、
     目に見えぬ汝に、朽葉が
   駆りたてられていく、呪術師から逃れる死霊のように、

西風は日本で言うなら凩、冬将軍の先陣でしょうか。詩は、西風は地中海を甘美な夏の微睡から目覚めさせ、その唸り声に恐怖のあまりすべてを黒ずみ怯えさせる、しかしやがて西風の妹の春風が生気を吹き込み、野山は命の息吹を取り戻す。西風は死に行く年の葬送曲、命の破壊者で命の守護者だ。私が西風に吹き捲られる朽葉であったなら、ともに大空を駆け巡ろう。西風よ、私を吹き捲れ。私は命の茨に落ちて血を噴きあげよう。西風よ、私を汝の竪琴にせよ、私の言葉に命を吹き込み、微睡む大地に私の言葉を(朽葉を散らすように)撒き散らせ。(その時人は私の言葉に耳を傾けるだろう。)

「冬来たりなば春遠からじ(If Winter comes, can Spring be far behind?)」は、その後に続く結語なのです。

彼は伝えたいこと、真剣に受け止めてほしかったことがいっぱいあったのですが、耳を傾けてもらえませんでした。かつて古代ギリシア・ローマの詩人はミューズの神様に、私に言葉を語らせてくださいと祈りました。当時の詩人は予言者でした。シェリーは、古代の詩人のように、ただしミューズの神様にではなく、荒ぶる魂の西風に向かって、「予言の喇叭を吹き鳴らせ、冬来たりなば春遠からじ」と訴えているのです。

シェリーの詩才とともに語られるのは、彼が精神的拘束の一切を嫌悪し闘ったこと、そのためこの世俗世界では理解は得られにくく相当生きにくかったこと、そして彼自身はどこかこの世を超えた次元で生きていたということでしょうか。パブリック・スクールの生徒だったころ、学寮の理にかなわぬ悪しき習慣に激しく抵抗し「マッド・シェリー」と呼ばれた一方、「空霊な(aerial)」とも呼ばれました。‘aerial’はシェリーのヨットの名前でもありました。魂だけで生きていたような、どこまでも真摯ではあったが極度に浮世離れた彼の生き方は、イギリスでは受け入れられず、イタリアに渡ります。そしてある日、泳げないのにヨットが好きで、アドリア海に出て嵐に遭って溺死してしまいました。30歳でした。

私がシェリーの詩に圧倒されたのは、彼の紡ぐ言葉でした。イメジャリーの見事さ、美しい調べを奏でる言葉の音の美しさ、そして言葉が語る精神性の高さと激しさでした。パーシィ・ビッシュシェリーという名前の音もきれいです。最初に印象に残ったのは、‘pale purple even’ (薄青紫の宵の〈空〉)という表現でした。シェリーの詩の言葉に、私の魂は成層圏の彼方に吹き飛ばされたような衝撃を受けました。何度も、何度も、その言葉が生み出すイメージを絵に描こうともしました。シェリーに魅入られてしまったのです。シェリーの「星を求むる蛾の想い」という言葉は、ロマン派の真髄を的確に表す言葉です。中世文学の隅っこをあれこれ思索する私が初めて単著を出版する幸いに恵まれたとき、これをタイトルに使いました。真を憧憬する魂の想いは、いつの時代も同じだと思ったからでした。

昨今のCOVID19猛威のため、世界中が大変なことになっています。東北の大地震のときに「花は咲く」という歌が歌われ、今も歌われています。その後、「花は咲けども」という歌も歌もわれました。その歌が歌われてからも月日は流れました。東北の復興は少しずつ前に進んでいるようですが、人が戻ってくるのはまだまだ先のことになりそうです。このような時期にCOVID19が猛威を振るい、東北だけでなく、この数年の間に天候災害などで大きな痛手を受けている地も、道半ば、道遠しの状態です。先の見通しが定かでない中、どの現場でも、苦しみ悶えながら精いっぱいの努力をしている人たちがいます。「花は咲けども」です。シェリーの言葉を借りれば、「冬来たりなば」ですが、「春来たれども」です。

それでもやはり、そしてなお、「冬来たりなば」、「花は咲く」でありたいと思います。そうでなければいけないなと思います。そう思いつつ、今日の一日を始めようと思いました。