日盛りの夏

梅雨が明けたとたんの猛暑続きで、身体も心も追いつきません。それなのに虫は元気で一日中鳴きたてています。蝉の声は心なしか盛時ほどではありません。猛暑ですが、やはり残暑の暑さなのでしょうか、季節は少しずつ秋に向かっているようです。 

上京するまで、郷里では8月のお盆が終わると、そろそろと涼しい秋風が吹き始め、秋桜が咲き乱れ、秋の気配を感じました。当時、冷房というものは、今市はもちろん、宇都宮駅ビルの2階、3階にすらありませんでした。市内のデパートにもあったかどうか記憶にもありません。宇都宮は盆地ですから夏は暑いのです。今市・旧日光市内は、地図帳でいえば関東平野の緑色が黄緑色になり、それから薄茶色になりますが、その薄茶色ともう少し濃い茶色の中間にあります。山中でもなければ平野でもありません。夏でも12時を回ったころに30度を超えることはありますが、大体はそれ以下でした。冷房は必要がなかったのです。30度を超えると、汗ばんで暑く感じます。32度を超える日は数えるほどしかなかったように思いますが、まさに酷暑でした。しかも連日のように、午後3時前後に激しい夕立が半時か一時かあり、その後は気温も下がり、涼しい風が吹いてきました。それがない日は夜も暑く寝苦しかったものでした。 

どこもかしこも冷暖房が必要になったのはいつの頃からだったのでしょう。今は、涼しかった郷里も冷房が必要になりました。気温そのものが30度を超える日が続くようになったのです。夕立の後も、以前ほどには涼しくならない日が多くなったのです。東京に来るまでゴキブリというものを見たことがなかったのですが、今はゴキブリも一杯いるようです。聞けば北海道にすらゴキブリホイホイが売られているそうです。 

東京も、50年ほど前、今のように暑いとは感じませんでした。暑いといっても、32度から34度くらい、35度を超えたらとんでもない暑さだったのです。当時は二階に住んでいて、居間は南向きで西側にも窓がありました。ですから、夏の午後はそれでなくても暑かったのです。ある夏のことです。今から30年くらい前でしょうか。異常気象といわれた年で、特別に暑い夏でした。その日、それは、それは、大変な猛暑に見舞われました。ニュースによれば東京の気温は36度を超えていたと思います。当時、通常は窓を開け放てば凌げる程度でしたので、我家に冷房はありませんでした。午後を回った時、居間の室温は38度、39.5度にのぼりました。家族一同、何もできず、ただ居間に倒れてぼんやりするしか術はありませんでした。呆っとしているうちに数時間がたち、やがて陽が南から西に回り、さらに夕焼けの勢いが弱まってきたころ、少し涼しいと感じました。なんと、その時の室温は35度でした。例年、35度といったら異常に暑いと感じた温度です。ところがその時は、その35度を涼しいと感じたのです。「35度で涼しいと感じるなんて…」と、笑いながら吃驚したものでした。 

その後からでしょうか。夏の猛暑が次第に厳しさを増し、いつの間にか、そしてこの数年、35度、36度の日が普通になってしまいました。今年もまだまだ暑いです。これからも日本の夏はこのまま暑くなっていくのでしょうか。冷房で部屋を涼しくしても、外気温は高いままです。日本の気候は変わりつつあるのでしょうか。いったいこの先どんな風になっていくのだろうかと、熱気のこもる部屋の空気を感じながら、ぼんやりと往く夏の日々を思ったことでした。