不揃いの食器たち

子供の時からの夢の一つは、気に入った食器だけを集めて生活することでした。親の家で暮らしていた時は、当然、親の選んだ食器を使っていました。私が自由になるのはご飯茶碗とお箸でした。お茶碗が割れるとお向かいの瀬戸物屋さんに買いに行きました。それほど多くはない子供茶碗のなかから、できるだけ気に入ったものを選びました。今、その柄すら覚えていないのですから、それほど気に入ったというわけではなかったのでしょう。眉毛の太いおじさんと色白で面長のおばさんは優しい人で、長々迷っている子供に根気良く付き合ってくれました。選ぶと糸底のザラザラを少し滑らかにしてくれました。 

上京してから1年半ほどいた修道院経営の女子寮を出て、お米屋さんの二階に下宿をしました。その時、食器はみな新しくなりました。大家さんのおばさんと母と3人で近くの商店街の瀬戸物屋さんに買いに行きました。これまたほとんど覚えていないので、特に気に入ったものではなかったのでしょう。この頃の物で心に残っているのは、家から持ってきた益子焼の漬物入れと、学校帰りに衝動買いをした有田焼の湯飲みです。デパートの食器売り場を眺めるのが好きで、滅多に買いませんが、暇があると歩き回りました。 

西荻窪で新所帯をもったときは、お祝いに友人、知人、親戚のみなさんからいただいたたくさんの食器に溢れ、こちらの好みで買い求めた物は、白い紅茶茶碗のセットと同じく白い紅茶用のポットだけでした。茶碗受けは平皿でしたので、これはパン皿になり、中皿の方はお菜用になりました。このポットとお皿は今も使っています。いただいた物の一つ一つはみな上等なのですが、集まるとバラバラで…。とはいえ、下さった方の心を思えば、ありがたく使わないといけない気持になり、何とかしたいと思っているうちに忙しくなり、食器に気を遣うゆとりはなくなっていきました。 

以来、50年近い日々が過ぎ、息子たちが二階に住むために改築をすることになり、道具を整理しなければならなくなりました。いろいろ驚くことはあったのですが、何より驚いたのは、使わないまま押入れや整理棚の奥に仕舞ってあった食器類でした。改築後の家はこれまでの半分の広さになるので、何とかしなければなりません。子供たちに貰ってもらうなど、かなりは何とかなりました。今も、多少、使われずに出番を待っているものもありますが、ほぼ、気に入った食器になりました。

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小ぶりのきっと5勺くらいしか入らないお銚子です。整理しているときにはじめて見つけました。

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手前の小皿は沖縄に行ったときに気に入って買ったのですが、お銚子と小皿はもともとあったものです。これも初めて発見しました。

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小鉢の方は1、2回だいぶ昔に見たことがありますが、近年は全く使われていませんでした。小皿の方は初めてです。惚けた絵と素朴な味が気に入り、最近はよく使っています。

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整理をしていて、初めて見つけた抹茶茶碗です。ご飯茶碗にしてもいいなぁ、なんて思っています。

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7、8年前に沖縄で買ってきました。魚の姿に惹かれました。おでんや煮物にちょうどいいです。オムレツやチャーハンもなかなか良いです。

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時々食事をしたことのある割烹料亭が閉じるとき、女将さんが、気に入った物があったらあげますよ、とおっしゃるのでいただいてきました。小さな品のいいものです。お正月にはこれでお酒をいただきます。

整理をして、新しく食器を整えるうえで、統一するとか、バランスのいいものとか、そういった目論見がなかったわけではないのですが、それは果たせませんでした。大したものではなさそうなのですが、気に入った物が手放せなくなっていたからです。義祖母の代の物、義母が絵をいれたグラスなどなど。かくして、気に入った食器たちですが、写真集や絵でみるような整然ときれいな食器とは大違いです。いわく、不揃いの食器たちとなりました。この食器たちと暮らしていると、4世代の大家族だったころの食卓やその時の会話の端切れを思い出します。 

少女のころに夢見た、白いレースのカーテン、大きな窓の広いリビング、窓の外には…。『秘密の花園』やディズニーの映画に出てくるような大邸宅の磁気や銀の食器は、日本の絵物語に出てくる御殿の其処此処に見る調度や和食器は、それらはこの上なく素晴らしいのですが、すべて雲の彼方です。御殿で見る和食器は、そもそもそれ以前に、一日中正座で暮らすということに思い至った時、そこで想像は止まってしまいます。平安時代や戦国時代のころは女性も胡坐や立膝だったと聞きましたが、実際にはどの程度楽な姿勢だったのでしょうか。私が正座で暮らした日々は遥か彼方に去り、今は法事やお茶席の正座すらままならぬ身、御殿のお姫様は夢のまた夢にもなりません。身の程知らずの夢は、それはそれで…。 

というわけで、そうしてみますと、今の不揃いの食器たちとの日々は私の身の丈に合った良き仲間ということになりましょうか。