巣立ちの時

明け方は鳥の鳴声で目が覚めます。雀、四十雀、雉鳩、土鳩、尾長、鵯、椋鳥、鴉。ほかにも名前のわからない鳥がいるようですが。鴉には二種類あって、声の通るのが嘴太鴉(森鴉)、ガーガーと拉げた感じの声は嘴細鴉(里鴉)です。この辺は善福寺公園を塒にしているらしい嘴太の領域だそうですが、そこに嘴細がわずかですが混じります。(そのうちの一羽は、我家から巣立ったものです。家人が、病後の検診で病院を出たところ目の前に落ちてきたので、これは運命だと思って連れてきた、と言われては、否やは言えません。その雛はしばらく世話をしてもらってから首尾よく巣立っていきました。)4年前のことです。 

家人は生物の教師で、(だからといって鳥の世話の仕方を知っているわけではないのですが、)解体中の家から出てきたとか、庭の裏でもがいていたとか、巣から落ちたとかなどの理由で、(時には羽根さえ生えそろっていない)雛が持ち込まれます。うまく育てて外に帰してやりたいと、小さな瓶にお湯を入れ、綿やティッシュで包んで温めたり、スポイトで水などを飲ませたりといった世話をしました。最初のころはどうしていいかわからず、(とはいえ、どこに助けを求めていいかもわからず、)あれこれしてみても、ほどなく息絶え、子供には散々泣かれ、いたく切ない思いをしました。私も小学校の帰りに巣から落ちた雀をハンカチに包んで家に持ち帰り、親はできるだけ頑張ってくれましたが、やはり育ってはくれませんでした。 

経験が教師とはよく言ったもので、だんだんこちらも世話の仕方も上手になり、鵯、四十雀などはしっかり生き延びてくれました。特に雀は生き延びる雛が多くなりました。羽ばたいて外に飛んでいけるようになれば一段落です。うまく餌を取れるかどうか心配したものですが、どうやらその辺の順応性はあるようです。そのころは、毎年、特に、初夏にかかる頃にはずいぶん雀の雛が巣から落ち、持ち込まれました。そういえば雀もたくさん庭に来ていました。こんもりと葉の茂った木の枝に何十羽もとまって喧しく鳴いたものでした。 

いつのまにか、庭に来る雀は少なくなりました。巣から落ちた雛を見ることもなくなりました。決まって餌をねだりにくるのは夫婦と思しき雉鳩と数羽の土鳩になりました。ベランダの手摺にとまってはクウ、クウと鳴きました。秋には鵯が熟柿を啄みにやってきました。蜜柑を枝に刺してやると喜びました。餌が多い時は皮を残しますが、餌の少ない時は皮まで食べました。椋鳥は庭で餌を探していましたが、雀はあまり来なくなりました。 

ところがです。昨年の初夏、庭の方から大きなガンガンと響く音が聞こえるのです。なんだろうと見行きました。なんと、道路際近くの椎の木の洞に小啄木鳥がいたのです。こんなところで小啄木鳥を見るとは思いませんでした。嬉しい驚きでした。また、身体があんなに小さいのに家の中にまで響くような音を立てることにもびっくりしました。小啄木鳥は鳴いているのでしょうか、それとも啄くだけなのでしょうか。人間が傍に行っても気にも留めませんでしたが、写真と取ろうとしたら引っ込んでしまいました。うまくいかず残念でしたが、用心の仕方に感心しました。どうやら洞に巣を作って雛を孵していたようでした。その後、もう一度雛を孵したのち、洞は空っぽになりました。今年も来るかと思いましたが、小啄木鳥は来ませんでした。

 

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小啄木鳥が巣を作った須田椎です。写真の反対側の、幹から枝が出るところに洞があるのですが、こんな道路に近いところに巣を作るとはなんと不用心な、と思ったのですが、何をどう用心すべきかは、小啄木鳥の方が心得ているのでした。

今年はその代わり、雀たちがたくさん戻ってきました。台所の裏に無花果と椿があるのですが、毎朝、家人が餌を蒔きに行くのを枝にとまって待っています。雀と鳩は仲良く餌を食べます。気が付いてみると、今年は、朝だけでなく昼日中でも、何種類かの小鳥の鳴き声が聞こえてきます。駅から自宅までの住宅街の通りを歩いている間中、チチチ、ピピピという高い声と、ジジジという低い声で交互に鳴きかわしています。小鳥同士が話をしているのだろうか、でも声の高低はなんだろうか、などと訝しく思いました。しばらくして、そうだ、これは巣立ちだと思いいたりました。チチチ、ピピピは雛の、ジジジは親鳥の鳴声だったのですね。親鳥が雛に巣立ちを促しているところだったのですね。 

今までも毎年、この時期には巣立ちの歌が聞こえていたはずでした。確かに、初夏には塀際の繁みから、高い木立の枝の間から、あちこちで雛の鳴声は聞こえてきていたのです。雛特有の高い声は耳が覚えています。でも、今年のように、こんなに近い距離から、それも親と雛の鳴きかわしという形で、あちこちから聞こえてきた覚えがなかったのです。見回してみますと、巣立ちしたばかりの小鳥の危なげな飛び方も目に映ります。一つ新しいことに気が付くことができて心がはずみ、たどたどしい羽ばたきにも心励まされる思いがしました。 

世の中は、自然災害や先行きわからぬ新型コロナで落ち着かず、不安でもありますが、この季節、新しい命の羽ばたきを感じることができるとは、なんとありがたいことかと思いました。