春も曙

日の出の時間が早くなってきました。夕まぐれとともに、一日で一番好きな時間です。清少納言は「はるはあけぼの」といってますが、私は一年を通して、少しずつ夜が朝に変わっていく時間が好きです。

実家は日光街道沿いの商家で、幼いころ姉妹揃って一階の座敷で寝ていた時代は、家の前を走り抜ける自動車のエンジン音で他の音は聞こえませんでした。中学生になったとき、裏階段をあがった部屋をもらいました。家は江戸末期のころの建築が元になっているので、商家の造りは鰻の寝床です。表の喧噪も裏の二階の部屋までは届かず静かでした。湯上がりに裏の二階と離れを繋いでいる物干し台に行くと、冬にはどこかの家の風呂場で湯を流す音や桶のカーンという澄んだ音が聞こえました。見上げると空一面の星が輝き、手を伸ばせば届くかと思うほどでした。

部屋は6畳の和室に横長の板の間のある造りで、(多分)西北に窓、北東は硝子戸で、半幅の縁側と格子がついていました。硝子戸の下の段は磨硝子で、内側にざらざら面があり、鉛筆で何かを書くのに大変都合の良いものでした。鉛筆で落書きをして、時々母が呆れながら消すのですが、またまたそこは落書き場所となりました。

そこで寝起きをするうちに新しい楽しみが生まれました。夜明けです。季節の変わり目は日の出の時間でも感じられます。真夏には朝の四時頃から遠くで勢いよく流れる大谷川(だいやがわ)の音が届きました。暫くすると空の闇が少しずつ薄くなり、濃紺から紫色に変わり、少しずつ濃い青から空色に変わっていきます。山の端から天頂に向かってのグラデーションは、それこそ、絵にも描けない美しさです。横を向くと夜明けです、紫色に橙色の光が混じり、朝焼けが始まります。橙色はどんどん強く明るくなり、やがて空一杯の朝になります。

一八歳で東京に来た時、東京の川は音を立てずに流れ、雨も風も静かで吃驚しました。烈しく流れる川音、枝を揺さぶりながらゴウゴウ駆け抜ける風、紫色の稲光で現れて杉の大木を真っ二つに裂く雷はまったくありませんでした。しばらくは落ち着かず、フランクフルトで夢遊病になったハイジの心持ちがよくわかり、かくして都会の憂鬱が始まったのでした。

今はそれも懐かしく、50年以上も東京に住み、深い愛着も根付いた今、あのときは憂鬱になってごめんなさいと謝りたい思いです。