ラジオ深夜便

退職して、基本的に早寝早起きになりました。最後まで見ずにはいられないドラマを見るといったことがなければ、9時に就寝です。すると、だいたい夜中の2時か3時に目が覚めます。そんなときは本を読みながらラジオを聴きます。この時間帯の「ラジオ深夜便」は気に入っています。この時間帯は、当初、年齢層の高い聴衆を想定していたのかもしれません。アナウンサーの話し方がゆっくりで、テンションは高すぎません。担当のアンカーも比較的年齢の高い方々のようです。言葉もカタカナが入りすぎず、話題も耳慣れたもので、気持ち良く、落ちついて聴くことができます。 

かなり以前ですが、この番組の3時からは、しばしば、昔の歌謡曲や小学唱歌、童謡などが流れていました。生まれて初めて私が最初に出会った歌は、おそらく童謡や小学唱歌だったと思います。そのせいか、当時の童謡歌手の古いレコードで聴く歌は、懐かしく心地よく、「深夜便」の3時は楽しみでした。

小学唱歌や童謡を、歌謡曲や演歌を歌う歌手やオペラ歌手が歌うことがあります。よい曲は誰もが歌いたくなるということなのでしょう。私の趣味からいえば、これらの歌は、声量のある豊かな声で歌われるよりも、また小節がきいた歌い方で歌われるより、真っ直ぐに透き通る声で歌われる時、一番心に浸みます。

中学校の音楽の先生は歌曲やオペラ歌手を目指す声楽科出身の方で、音楽の時間はたくさん歌が歌えましたから、大好きな時間で楽しかったです。先生は、童謡歌手の歌い方は音楽的でないとおっしゃいました。口を横に開いて声を出すからいけない、口を縦に開けて・・・と。私はそれを聞いて残念だと思いました。私は同世代かそれよりも年齢の低い人たちの歌う歌は、それはそれで好きでしたので。

童謡や小学唱歌はドラマティックにではなく、怨や艶の混じらない、素の、透明で純な歌声と歌い方で歌われるのが一番好きです。透き通るようなきれいな声で楚々と可憐に歌われる歌を聴くと、大変に幸せな心持ちになれました。

 子どもが小さかったとき、かつて童謡歌手だった小鳩くるみさんが歌う子守歌のレコードが発売されました。さっそく求めて何度も何度も聴きました。大変美しい声でメロディを崩さずに端正に歌う子守歌は素晴らしく、レコード盤に傷がついて、いわゆる壊れたレコードになるまで聴きました。

小鳩くるみさん(本名は鷲津名都江さん)が、私が奉職していた大学で開催された学会で講演をなさったことがありました。ロンドン大学第二外国語の教育法を研究なさり、その後大学で教壇に立たれておいででした。久々の、しかも本物の小鳩くるみさんは、年を重ねてなお美しく上品で朗らかで、話も面白く、楽しかったです。何よりもきれいな日本語でした。講演は英語のリズムについてでした。息を吸うためにはきちんと吐かないといけないわけで、それが出来ると英語の発音にも現れる、どうやったらきちんと息を吐いて吸って、リズムのある英語が発音できるか、といった内容で、具体的に例を挙げ、実演しながらの講演でした。何年も経っても覚えているのは、説明の仕方が明瞭で、わかりやすかったからでしょう。

現在は公の場所では歌われないそうです。歌うためにはきちんとトレーニングをする必要があり、それは今できないので、とのことでした。あの美しい歌声が聴かれないのは残念ですが、これは見識だと思いました。最盛期を過ぎて声が思うように出なくなった歌手、練習不足で往年の演奏ができなくなった演奏家が、いつまでも舞台に出ているのは、切なく無惨でもあり、聴いていて辛いものがあります。プロならばそのへんは潔くあってほしいと折々に思っていましたので。

小学唱歌も童謡も昔の歌謡曲も、きれいな日本語で歌われているのが嬉しいです。最近は鼻音のない歌や話し方が多くなっていますが、時々、若い俳優、歌手がきれいに鼻音を発音すると、おお!と嬉しくなります。言葉も発音も生きたもので、時と共に変わっていくのは当然だと思います。それでも、私が馴染んだ端正な日本語を聴くと幸せな心持ちになります。

最近は深夜便で童謡や小学唱歌を聴く事が少なくなりました。昨日も耳を傾けつつ、童謡や小学唱歌を、たくさん、たくさん、聴きたいなと思いました。