見上げれば柿、目をやれば紫蘭

柿の葉がいっぱいです。幹も枝も覆いつくす勢いです。日の光を受けてつやつやと光っています。花芽もあちこちに見えます。もうすぐ、地味ですが白い花が咲きます。梅雨の頃に落ちなければ今年はいっぱい実をつけてくれるでしょうか。

「柿の木は折れやすいから登ってはいけない」と言われていましたが、身が軽かった頃はよく柿の木に登りました。1メートルちょっとのところで枝分かれしているので、そこに腰をかけて一方の枝に足を伸ばし、もう一方の枝に背中をもたれかけて本を読むのは気分がよかったのです。

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花芽の写真を試みましたがうまくいきません。そこで絵にしてみましたが、やはりあまりうまくいきません。でも、まあ、こんな感じです。次の時はもう少しマシになっていることを祈りつつ。

4月の終わり、葉は今より柔らかく、緑も黄味がありましたが、今は真緑か少し深緑が入っています。小さい子供たちに絵を描いてもらうと、たいてい花ならチューリップ、木の葉は柿の葉(のようなもの)が多いです。ときどき、別の花や葉っぱを描く子もいます。話を聞くと、たいていどこかで印象に残った経験があるようです。

柿の木で思い出すのは、20年以上も前、やはり今頃の季節、学会のついでに、日本最古の道といわれている奈良の古道を歩いた時のことです。思い立って、地理と方向のわかる友達と山辺の道を歩こうということになりました。方向音痴の私はどこをどう歩いたのかよくはわからないのですが、桜井線の桜井という駅から歩き始めました。道幅もさほど広くはなく、周囲は長閑な田園風景。行き交う人もなく、少々気温の高い日でしたが風が通り、至極気持ちのいいウォーキングとなりました。

人家の庭には鶏が歩き回り、私たちを見ると雄鶏がコッコッコと大股で追いかけてきました。雌鶏たちを守っているのですね。怖かったけれど偉いなと思いました。ある家の軒先には大小さまざまの瓢箪が箱の中に積み重ねられ、「ご自由にどうぞ」とありました。一つくらいいただいていきたかったのですが、袋一つも持ち合わせておらず、瓢箪を手で持ちながら歩くのは厄介かなと思い、諦めました。(今もって、あの瓢箪は立派で美しかったので残念無念です。)

道の両側に広がる背の低い柿の木畑は印象的でした。青々と葉が茂り、そういえば奈良の柿は有名だった、と思い出しました。秋になり、店先に並ぶ大振りの奈良柿を見るたびに、古道で見た柿の木畑の風景が思い出されます。一時間かそこら歩き、喉も乾いたころに、具合よく「柿の葉寿司」の看板が私たちを誘ってくれました。早速お店に入って賞味しました。ビールを片手にいただく柿の葉寿司は、それは絶品でした。鮨飯の味が柿の葉と相俟って、初夏の候によく合うご馳走になりました。お店の壁に黒塚古墳の写真が飾られ、絵葉書が並べられていました。そういえば数年前に黒塚古墳が発掘され、日本中を興奮させ、話題になったことを思い出しました。記念に絵葉書を1セット買いました。 

一休みしてまた歩きだしました。遥か彼方に三輪山が見えます。形のいい山です。しばらく歩いていきましたら三輪素麺の会社がありました。店舗があり、その奥には三輪素麺を食することができる広い座敷がありました。店舗の裏にある工場で製麺の様子を見せていただいてから、早速座敷で三輪素麺をいただきました。素麺のおいしさはもちろんですがお汁の味もよく、これが三輪素麺かと、以来三輪素麺のファンになりました。

素麺の前だったか後だったか定かではないのですが、箸墓古墳にも行きました。子供向きの日本書紀大物主神の話でを読んだことがあります。お姫様が死んでしまう場面が怖くて灯りをつけていないと眠れなかった時期もあったのですが、訪ねて行った古墳は静かな佇まいでした。一説には卑弥呼のお墓だそうですが、そのときはお話に出てきた倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)を偲びました。当時は古墳の入口には鍵がかかり中に入ることはできませんでした。近年、調査研究のためにあちこちで中に入れるれようになったと聞きますが、ここも入れるようになっているのでしょうか。もしそうであるなら、研究者は喜んでいることでしょうね。(研究者ならぬ私は物語の続きのまま、)ここでお姫様がお休みになっておられるなら、どうぞ安らかにお休みくださいと思ったことでした。柿の木を見ると、奈良の古道を歩いた日の記憶がよみがえってきます。また、歩いてみたいです。

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我家の庭で、今を盛りと謳歌している紫蘭です。元気がいいです。

花芽と柿の葉の写真を撮って、ふと南に目をやると紫蘭が咲き乱れています。ここは30年前には、チューリップやヒマラヤ雪ノ下、福寿草、山椒、擬宝珠などがあった場所です。いつのまにか少しずつ紫蘭にとって代わられました。紫蘭は何もしなくてもどんどん増えていきます。手入れを怠ったこちらが悪いのですが、庭の草木の栄枯盛衰、有為転変です。でもまあ、紫蘭は好きな花なので楽しいです。紫と緑は色合わせも好きです。庭先に咲き乱れる紫蘭の緑と紫は魅力的です。ローマのナショナル通りのブティックで見た紫と緑の縦縞のワンピースを思い出しました。