『修道士の頭巾』 その2

『修道士の頭巾』の見どころは、舞台が12世紀、中世のイングランドであったこと、修道院であること、主人公が修道士であることなのですが、どれも境界線上にあるところがミソです。

まず、シュルーズベリはイングランドですが、ウェールズに接している国境にあります。当時、大国のイングランドは常にウェールズを狙っておりましたが、ウェールズはまだかろうじて独立しておりました。そのため法律についても、イングランドの法律とは必ずしも同じではありませんでした。ウェールズイングランド支配下に置かれたのは13世紀です。

これには逸話があります。ウェールズの人々はイングランドエドワード1世に、ウェールズで生まれた、正統な王の血筋で、英語を話さず、悪に手を染めたことのない者を王として受け入れると申し出ていました。ウェールズの人々はウェールズ人の王様を戴きたかったのです。ところが(悪)賢いエドワード1世は、妃をウェールズの城に住まわせ、そこで生まれたばかりの王子をウェールズの人々に示し、彼らの王であることを認めさせたそうです。(確かに、ウェールズで生まれた、正統な王の息子で、生まれたばかりですから英語(はおろか何語も)を話さず、生まれたばかりですから悪事は一切行っていません。)結局、この王子はウェールズの王として受け入れられたのです。この王子がエドワード2世です。以来、イングランドの皇太子はプリンス・オブ・ウェールズと称されることになったのでした。

イングランドとの法律の相違の一つは、例えば、遺産相続に関するものです。イングランドの法律では、父親の遺産は嫡子でないと相続権がありませんが、ウェールズでは嫡子でも庶子でも、父親の子供であることがきちんと認められておれば相続権がありました。この小説でも両国の法律の違いが物語の中で大きな役割を果たしています。シュルーズベリがウェールズの隣接地ですから起きる問題です。

当時はあちこちに荘園領地が多くありました。領主がウェールズ人であれイングランド人であれ、その領地がイングランドウェールズにまたがっている場合が少なからずありました。何らかの問題が起こりますと、ウェールズの法律で裁くこともイングランドの法律で裁くことも可能でした。荘園領地が両方にまたがっている場合、訴える者がどちらの裁判を求めるかで決まったのです。この小説はまさにこの例にあたり、それが大事件を大団円に導くことになるのです。

修道院が境界線上にあるというのはこういうことです。当時の大修道院は自身の領地内外に、小作地もありましたし、委託地もありました。この小説では、登場人物の一人である荘園領主が、領地すべてを修道院に与える代わりに、修道院の家作の一つに住み、終生世話を受けるという契約をしようとしていたことでした。もともとは妻の息子に領地を遺産として譲ることになっていましたが、妻の息子が継父に従順でないのでそれを取り消し、修道院に託す契約をしようとしたのでした。

修道院生活というのは、かつてのように世俗を断って院内で完結する生活をしている修道院ばかりではありませんでした。世俗との関わりの大きい修道院も多くありました。カドフェル修道院もその一つでした。小説では、契約が完全に済まないうちに、修道院長の職が継続できるかどうかがロンドンの教会会議で決まることになり、現院長が出立してしまったのです。そのため契約は宙ぶらりんになってしまい、そのことが大事件を引き起こす切掛けになったのです。ヘンリー1世の娘マチルダ(モード)とスティーブン王の間に王位継承をめぐる戦いが起こった時、シュルーズベリはマチルダの側についていました。シュルーズベリ城の包囲戦の結果、スティーブン王の軍門に降り、束の間の平和はもたらされたものの、王の好意を得るところまではいっていませんでした。院長交代の指令もその一環としておきたことと推定されました。

そして主人公のカドフェルです。かつて戦士として、船乗りとして各地を見分し、経験してきたことから、世情に詳しく、庶民の事情や心情をよく理解しておりましたが、心定めて修道士になりました。そのため、今は行いすまし、一修道士として規則に従い、心中多々思いはあるものの、巧まぬ柔軟さで、修道生活が要請する従順とのバランスをとっておりました。薬草園の世話と病人の看護という仕事柄、必要とあれば市中と修道院内を行き来するということになります。事件は、今回は、修道院が管理する範囲内で起きておりますが、市中での出来事が多いので、両方を自然に行き来することができる人物が必要になってきます。その意味でカドフェルは見事な境界線上の登場人物なのです。

登場人物の生きる有りようには共感できるところが多くあります。修道院の人間模様も、シュルーズベリの市中の人々も、ウェールズの人々も、私の周囲に生きて息をしている人々のようです。施療院で病臥する農夫の痛みにマッサージを施しながら慰める看護人の様子、誇りと強壮さが漲る腕のいい職人、陽気で世話好きで気のいい母親、きかんぼうでむてっぽうだけれども真っ正直な少年、悠久の時を静かな喜びと悲しみのうちに生きる老人。一人一人が魅力的で、そのうちの一人や二人は、心の中で「あの人に似ている」と思いたくなる現実味のある人々です。

昨夜、再び『修道士の頭巾』を読みました。物語に惹きこまれながらあれこれ気が付きました。描かれる街中の様子、田園風景、イングランドウェールズの法律の違い、人間性の違い。以前にも感じたことでしたが、今回もまたあれこれ心に浮かびました。登場人物は一人一人絵にかいてみたくなるような、リアルに思い浮かぶ姿かたちで、親近感のある人たちです。街中の風景も、田園の風景も、絵が描けたら幸せだなぁ、と思ってしまうほど美しく、色彩にあふれています。美術館などで見る英国の風景画は、小説の場面、場面を思い起こさせてくれます。

読んでいるときは、引き込まれ、一語一語、夢中でしっかり読んでるのですが、読んだことを長くきちんと覚えていられないので、読み終わると細かいことは忘れてしまいます。ですから、再読の時はいつも真っ白で、初めて読むときのように、一文字、一文字、みな新たで、感動も新たです。次にまた読むときにも、きっとまた感動を新たにするのだろうと思いながら、昨夜も最後のページを閉じたのでした。