年のはじめの・・・

年が明けて、最初に聴く歌は、かつては「年の初めの」で始まる歌でした。当時、小学校では、元日は登校日でした。いつも通りに学校に行きますと、この歌を歌い、先生からいただく紅白饅頭と蜜柑を持って帰宅しました。帰宅途中、みんなでこの歌の替歌を歌いました。この行事は中学年のころになくなりましたが。歌詞は以下の通りです。

 

年の始めの ためしとて

おわりなき世の めでたさを

松竹まつたけたてて 門ごとに

祝う今日こそ 楽しけれ

 

「年の始めのためしとて」で始まる歌は、「一月一日」と言っていましたが、本当の歌の題と読み方がわかりません。調べてみましたら、「いちがつついたち」ではなく「いちげついちじつ」と読むのだそうです。上眞行(うえさねみち)作曲、千家尊富(せんげたかとみ)作詞による小学唱歌で、明治26年1893年)官報で公布されたとのことです。 

替歌の方は、私の覚えているのはほんの一部分です。「・・・ 尾張名古屋の大地震 松竹でんぐり反して大騒ぎ、 今年の正月やり直し」です。調べてみましたら、ほかにもたくさんの替歌があることを知りました。そう言えば、その前に歌われる「もういくつ寝るとお正月」にも替歌がありました。子どもたちはろくに歌詞の意味もわからないまま、歌い、替歌で遊んでいたのでしょう。そうした姿が消えて久しいです。 

子どもの頃は、凧揚げ、羽根突き、独楽回しをしたことも記憶にあります。家の裏で凧をあげると庭木に引っかかります。小学校の校庭か、大谷川の河原付近であげる人もいたようです。羽根突きは家の裏か、家の前の通りでできました。とはいえ、家の前は国道、日光街道です。歩道は人も少なく遊べますが、当時だからできたのですね。歩道で遊ぶ子どもの姿は、50年以上前から見ていません。家の裏で遊びますと、羽根が屋根の上や軒の樋に入るのが玉に瑕です。羽根を落とすと墨で顔に印をつけるというのは、漫画の中の話で、実際にはしませんでした。独楽は美しいので持ってはいましたが、上手には回せたためしはありません。大人や男の子は上手でした。いくら練習してもなかなかできませんでした。 

お正月には獅子舞が家々を廻ることがありました。これは毎年楽しみでした。あのお獅子の口をぱっくり開けて、子どもの頭を囓るふりをする時にはドキドキしました。大道芸人も家々を廻りました。唐傘の上で独楽や一升枡や毬を回したり、唐傘の上のものを落とさずに柄の先を顎に乗せたり、見ていて飽きることがありませんでした。面白くて、ついついくっついていって迷子になったこともありました。これまた、ああした人たちがいなくなって久しくなります。思えば、この50年の間に消えていったものはずいぶんたくさんあったのですね。時代は変わります。当然のことですが。 

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かつてのお正月で身近にあったものです。我家にはいつも犬と猫がいました。多い時には犬が2匹、猫が4匹いました。羽根突きも好きでした。独楽は上手く回せませんが、きれいで側に置いておくのがすきでした。炬燵を囲んで、火鉢に網を乗せてお餅を焼き、子どもは蜜柑、お煎餅、落花生、父は目刺しにお酒です。母は家中あちこち大忙し。時々、火鉢の火を見て、お蜜柑をつきあってくれました。

ニュース番組で、このお正月、「鬼滅の刃」関連の諸々が大人気で、「聖地」巡礼地では、三密を避けつつ、賑わっているとのことでした。おかげで客足が遠のき困っていた旅館が息を吹き返したというニュースもありました。朗報です。また、あるアニメに魅せられて、その舞台になった地に移住する人が紹介されていました。移住した人たちを中心に新しい活動が始まり、おかげで老人の多い地域に活気が出てきたということでした。若い人たちが思いがけない形で元気に活躍して、そこから新しい時の歩みが始まるというのはうれしいことです。 

時代は変わり、私が知っていた日々は遙か遠くなりました。この一年、コロナの日々となり、生活の仕方も否応なく変えざるを得なくなった部分もありました。コロナがなくとも、少しずつ、変わっていったのではありますが。コロナの強烈な印象のために、以前がどのようであったか忘れそうになります。元々、出不精ですが、自粛を求められますと、好きで長閑に家にいるのとは異なり、閉塞感を覚えます。ですが、約一年のコロナの日々の中で、何をどのように気をつけなければいいのか、いけないのか、このような状況で、集まって何かをしたい時には、ウェブにするのか、オンラインにするのか、メールを活用するのか、対面で行う時には、何をしてはいけないのか、いいのか、そういったことについて、少しずつ学んでもきたように思います。 

まだまだわからないことは山ほどあるでしょうし、思いがけない落し穴もあるかもしれません。ですが、少しずつ前に進む姿を見るのはうれしく、励みになります。アニメに魅せられて移住するとか、遠出ができないから一人キャンプをするとか、独創的な発想で行動する人たちが出てきているのも頼もしいです。学会や研究会でも、人が集まれない中で活動を続けるためにはどんな工夫ができるかと、努力する人たちにも頭が下がり、頼もしく思います。世の中捨てたものではありません。 

まだまだ、今年は始まったばかりです。かつての日々を愛おしみつつ、コロナの日々をどう過ごすか、小さな工夫を積み重ねつつ、元気に過ごしていきたいなと思ったことでした。