黄色い木槿?いえいえ、オクラの花です。

オクラの花を初めて見たのは、文学部のキャンパスが金沢八景から金沢文庫に移った1990年代の中頃でした。当時、都心にある大学は次々に郊外に第二、第三のキャンパスを作りました。私の勤務校は都心では全くないのですが、当初、1、2年生のキャンパスを移そうと、金沢文庫からバスで10分ほど行った地に新キャンパスを建設しました。当地はもともと山林だったところを運動部のフィールドとして使用していた所でした。5月の連休の明けでしたか、最初の授業の日、好奇心一杯に出かけて行ったキャンパスは、金沢自然公園、金沢動物園よりさらに山を登った、真っ青な空と輝くような深い緑に囲まれた山の上でした。 

駅から正門まで、結構急な坂道を登る自然公園回りと市街地から緩やかな坂道を登る二通りのバスがあり、どちらからも停留所から歩いて3分でした。自然公園回りは車窓からの緑が綺麗でした。市街地からの道は所々に小中学校やマンション、住宅がありますが、広々と開け、空地も十分ありました。市街地回りの終点の停留所から歩いてすぐの所に、たった一か所畑地がありました。大きな日に焼けた麦藁帽子を被ったお爺さんが一人で畑の世話をしていました。 

その畑地の道路際に、綺麗な象牙色というか薄黄色の花が咲いていました。形は木槿にそっくりなのですが、木槿の花弁は紗のように薄いのです。その花びらにはわずかに艶があり、木槿よりもわずか厚みがあるような気がします。綺麗な花だけれど、見たことがない、作物だけでは殺風景だからお花でも育てているのだろうか、などと想像をしながら、行きに帰りに眺めては、何の花だろうかと思いました。 

しばらくして、同僚のアメリカ人が、「エッ、知らないの、これオクラですよ。」と教えてくれました。オクラが英語だということも、その時初めて知りました。八百屋さんで買うオクラの姿とその花がすぐには結びつきませんでした。以来、毎年、オクラの花が咲くのが楽しみで、「今年もまだあるかな」、「今年はあるかな」と、思い、思いしながら畑のそばを通ったものでした。 

退職して、寂しくなったことの一つは、あの畑で開くオクラの花が見られないことです。文学部のキャンパスも、できたばかりの頃はピカピカに綺麗でしたが、30年もたつとだいぶ古びて、あちこち故障も多くなりました。周辺の風景も変わりました。当時、周囲は緑に囲まれた避暑地の趣でした。次第に家々やマンションが増え、空地はほとんどなくなりました。あの畑もその以前から風前の灯だったように思います。 

次にオクラの花を見たのは、伊豆高原のゼミの合宿でお世話になった民宿の庭です。食事の野菜はみな、民宿のお婆ちゃまとお母さんが頑張って作ったもので新鮮でした。その一つがオクラでした。軒下のオクラの花がいっぱいに咲いているのを見て、懐かしい友に出会ったかのように嬉しかったです。やはり、綺麗な花でしたね。

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これがオクラの花です。一瞬、木槿の花に似ているのですが、やはり、違いますね。初めて見た日から、この花が大好きです。なんて綺麗なのでしょう。

そして今年です。家の小さい、小さい畑にオクラも二本植えました。しばらくしたら蕾がつきました。綺麗に瑞々しく開いているところを見たいと思っていたのですが、朝開いて夕方になると閉じてしまいます。朝開いたばかりの時が一番綺麗なのです。運が悪く、花が一番綺麗に開いているところを逃していたのです。ところが、今朝、綺麗に開いているオクラの花を見つけました。大変、大変、幸せな心持になりました。ゆっくりと花を眺めながら、30年以上も前の、あの畑のオクラの花を思い出しました。